KORANIKATARU

子らに語る時々日記

主婦の功労

結婚すると、神様から「一日のうのう」チケットが一定量配給される。
文字通り、一日を「のうのう」と過ごすことができるチケットである。
激務に息あがる夫は、そのチケットの恩恵に預かる暇がない。

早朝から満員電車でモミクチャにされ、膨大な仕事を綱渡り、曲芸師のようにこなし、しかしうまくいかず、ひっくり返り、失笑買うか、叱責罵倒される。
人間関係は息詰まるほど剣呑だ。敵は7人どころではない、軋轢に耐え、耐え切れないときは死んだふりをし、夢か現か、銃弾飛び交う戦火の中、一時休戦の刻を待ちわびるが、時計の針はさっきから全く進んでいない。
ひょいと戦場の外に目をやると、森の妖精たちが、どこまでも青い芝生の上を、縦横無尽気ままに羽ばたいている。
すでに足は、棒のようにこわばっている。ただ指をくわえて眺めるだけだ。
毎夜満身創痍、行くところもないので家路につく。もしくは単身赴任先の暗がりに戻っていく。
足取りはフラフラ。

家に戻っても、そこに安息はない。また数時間後、檻へと戻り、拘禁されるのだ。
家は単なる仮釈放の場でしかない。
押し寄せる煩悶に息も絶え絶え、逃げ場は、夢想の中にしかない。
森の妖精と笑いさんざめき、果てしなく続く浜辺を手を取り合って駆け抜ける、ああ、空と海の青が眩しい、なんて水しぶきが気持ちいいんだろう、という夢想。
ふと我に返った時、もう時計の針は出勤の時刻を指している。

夫がこの有様なので、妻が専業主婦であれば、神から付与された「一日のうのう」チケットは、主婦の丸取り、寡占状態となる。
主婦は、趣味に邁進するなり、自己実現だと人生のモラトリアムを謳歌するなり、毎日寝正月するなり、毎夜狂ったように乱舞するなり、まったき自由を我が物とできる。

主婦も忙しい、とはよく聞く通り文句だが、いくらなんでも、夫とは比べるべくもないだろう。
それが等価であると強弁するなら、タチの悪い因縁のようなもんである。
ぶつかってワインボトルが割れて、本当は税込840円なのに、30万円のワインや、どうしてくれるねんと、ふっかけるような所業である。

伝え聞く主婦の話を総合すると、主婦の一日が見えてくる。
朝、ゆっくり起きる。
もちろん夫は、バナナか食パンをかじって出勤済みである。
子には、自分でパンを焼きマーガリン塗って食べるか、コーンフレークに牛乳かけて食べるくらいの躾はしてある。
マーガリンなければ、そのまま食え、牛乳なければ、そのまま食えとも言ってある。
たまには、買い置きのインスタントラーメンをご褒美に食わせてあげることもある。

子らが学校へ行った後、主婦時間が時を刻み始める。
取りあえず、テレビでもつけ、屁を二発、三発、ぶっ放す。
主婦時間が口火を切ったと知らせる号砲のようなもの。
テレビに飽けば、映画にでも行くかショッピング。
テレビ観たまま寝てしまい、気付けば昼過ぎということも日常茶飯事であるけれど、その後できっちりネットショッピングして要不要問わず買物する。

主婦仲間とランチに出かけることもしばしばだ。
ちょっと今日くらい、という気持ちでビールやワインを昼から飲む。そんな日が時々続く。
たまには反省し、スポーツクラブで汗流すこともあるが、逆に疲れてしまって、マッサージが必要になる。
マッサージは病み付きになるわ〜と、密々に笑う。
魔が差せば、出会い系なるもので、未完の青春を補足することもまれにある。

帰還後は、芸能ニュースでも観ながら、コンビニで買った最新のお菓子を食べつつ屁を垂れる。
主婦時刻の正午を告げる時報のようなもの。
子らが帰ってくれば、チンするか湯を注いで食べる夕飯を買いに行かせ、またはデリバリーを呼ぶか、はたまた、フライドチキンやチキンナゲットをサトウのごはんのおかずとして買いに行かせればいい。どうせ夫は午前様。もしくは遠い単身赴任先。

余暇と余力を一手に引き受ける主婦は、植民地従える帝国列強のようなものであり、その「みことのり」は、夫だけに留まらず、経済活動に携わるあらゆる衆生にとって、絶対不可侵となる。
夫が生産活動に血眼邁進するかたわら、経済活動のもう一方の側、尊い消費活動の役割をしっかり担うのが、主婦なのだ。
主婦は、その言が最も尊重される、「神の見えざる手」の選ばれし使者となる。
消費活動を真正面から担い、消費者として厳しい眼を光らせ、もの言う消費者として、経済に多大な貢献をもたらす。
経済は、主婦の趣向と利便をこそ満たすべき指標と掲げ、活性化する。

近ごろ、「主婦では困る、共働きしてもらわないと生活が立ち行かない」、と若い男性が言う。
実際、目の前で世界的な一流企業の男性社員がそう語るのをこの耳で聞いた。

しかし、それでは「一日のうのう」チケットの使い手がいなくなってしまう。
2人とも必死に生産活動に勤しんでしまうと、消費活動がお留守になってしまうではないか。
日常的に消費活動に真っ向取り組む担い手がなければ経済は回らない。
おまけに、2人とも猛烈に働くと、家庭に安逸を満喫する空気が絶え、気が滅入る可能性だって少なくない。

独身の男子たる者、自分の伴侶が、主婦という消費者としてその役割をとことん追及できるよう全力で支援するくらいの覇気が必要だ。
一方、家事手伝いを始めとする花嫁予備軍は、自分固有の夫という生産者をさっさと見つけ出し、一国一城の消費者、主婦となることを目指さねばならない。
男子に伍するまたは上回る女子がいても結構なことであるけれど、私に娘がいたならば、安穏な暮らしを得て欲しいと願うところだ。

経済の低迷が共働きの増加を引き起こした、という話なのであれば、因果を逆にたどり、共働きを減少させることも一案である。
共働きを減少させるべく、男子一人一人の気概を誘起しなければならない。
失われた日本の十年、二十年を巻き戻すには、その気構えが不可欠の因子だろう。

疲労が蓄積し、ヘトヘトになったとき、こう考えれば気分が和らぐ。
女房をヘトヘトに働かせて、眉間に皺寄せ沈欝にさせるより、男である自分がヘトヘトになる方が、はるかにマシである。
そして、安穏を欲しいがままとしているかに見える女房は、マクロ的にも立派な役割を遂行していて、その存在は、自分と表裏の関係で、実はその喜びを享受満喫しているのは、巡り巡って自分なのである、と。

「のうのうチケット」は女房に使ってもらう方がいい。どうせ、自分で使っても落ち着かないだけでなく、結局高くつく。
せめて願うならば、女房は、森の妖精が一番、それで内助の功があれば、更に御の字。ケチのつけようがない。