仕事を手伝う合間、家内は天六の福効医院に立ち寄った。
念の為、胃カメラの検査を受けた。
些細なことでもきちんと診てもらえば安心。
院長のでかい体はまさに大船と言えた。
だから胃カメラを飲む際、不安より安心感がまさった。
検査後、丁寧な説明を受けた。
学生時代、院長は浜学園のカリスマ講師だった。
難解な算数を誰にでも分かるように解き明かすのであるから、その手にかかれば何だって分かりやすい。
晴れやかな気持ちで福効医院を後にした家内とわたしは梅田で待ち合わせた。
JR神戸線が人身事故のあおりで動いていなかったので阪急を使い西宮ガーデンズで買い物してからタクシーで帰宅した。
夕飯時、二男から電話が入った。
単に帰省の時期を伝えるだけの連絡であったが家内はこの機会を逃さない。
長話になった。
大学の試験がようやく終わり、今夜は星光の早稲田メンバーで焼肉を食べに行く。
先日は東京の従姉妹の一人と食事して、今度はもう一人の従姉妹と食事する。
そんな話を横で耳にし感慨深い。
星光生の結束が幾久しく固いのは当たり前なので何とも思わないが、わたしの子と妹の子がともに大学生であることに改めてじんと来たのだった。
そのうえ子ども同士で連絡を取り合い東京の地で一緒に食事するのであるから嬉しくてならない。
孫同士の交流を母も喜んでいるにちがいない。
わたしの側のいとこ達はみな息子らと歳が近い。
だからだろうやりとりが絶えない。
兄弟姉妹が拡張されたようなものであり、互い手本となるから実に意義深い。
一方、家内の側のいとこ達はまだずいぶんと幼い。
交流が生まれるのはちびっ子たちが長じてからだろう。
東京に大きいお兄ちゃんが二人いて、ともに何かと頼りになる。
息子たちはそんな存在になることだろう。
二男との長話のあと、家内はまだまだ話す。
続いては英会話。
一日も欠かさない。
この日の講師はボスニア・ヘルツェゴビナの女性だった。
子育て談義で盛り上がりまるで主婦の立ち話である。
相手も大いに笑って楽しんでいたが、横で聞いてわたしも思わず笑って楽しんだ。
そして、ドラマ『30女の思うこと』を観終えた夜の10時半。
家内の電話が突如鳴り始めた。
悪い予感がして二人とも身がこわばった。
長男からだった。
家内が電話に出ると、我が子の怯え慄く声が響き渡った。
ゴキブリが現れた。
いったいどうすればいいのだ。
悲痛な声が事態の深刻さを物語っていた。
幼い頃、長男はちょっとした虫捕り名人だった。
バッタ、カマキリ、蝶、とんぼ、トカゲに小魚、狙った獲物は必ず仕留めた。
その昔、奈良で行われたカブトムシ採集のツアーに参加させたことがあった。
折悪しく不作で多くの子どもたちががっかりするなか、彼だけは3匹のカブトムシを捕獲した。
いったいどうやって見つけたのだ。
歴戦のインストラクターも目を丸くして驚いた。
その道を突き進めばおそらく彼は第一人者になったことだろう。
そんなさしもの名人も、ゴキちゃんには為す術なく型無しなのだった。
家内が笑って言った。
ゴキブリは夜行性。
電気を消せば仲間を連れて現れてカラダを這うから気をつけて。
長男は悲痛な声をあげた。
彼の震えがこちらにまで伝わってきた。
が、彼はいつまでも手をこまねく男ではなかった。
ゴキちゃんに仲間がいるように自分にも仲間がいる。
そう気付いたのだろう。
長男は決然と言った。
ここは助けを求める。
友だちを呼ぶ。
幸い近所に西大和時代の同級生が住む。
その東大生にSOSを発することにしたのだった。
ゴキちゃんの脅威も二人で臨めば薄らぐし、東大生が援軍に駆けつけてくれれば光明も見いだせるに違いない。
少なくとも一人で縮み上がっているよりマシだった。
長男の電話の後で、痛感した。
わたしたちは皆に助けられて生きてる。
一日を無事に終え、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。