KORANIKATARU

子らに語る時々日記

エアー大目玉

夜半、叱責の電話を受ける。
枚方の業者さんからだ。
たいへんに厳しい口調である。
その方に叱責されたことなどないので一瞬たじろぐが、瞬時、こちらに非はない、クレームされる落ち度などどこにもないと一筋ぴっしと前後脈絡つながって判断する。
弁明ではない旨述べた後、当方に誤りがないことをキビキビと説明した。

更に怒りを買った。
言い訳めいた話はほぼ百パーセント、状況を悪くする。
方針を転換し、反論一切せず叱責に耳を傾ける。

叱責は相手の口調が強ければ強いほど、聞く側に、意に反した感情を生じさせることがある。
特にこちらに非がないと思っている場合は尚更である。
奥深く沈潜する獣が、叱責にダイレクトに反応し、生命の危機だと目覚め、鎖引きちぎるように立ちがあろうとする。
しかし、それを解き放っては外道なので、人たるもの猛獣使いとなって感情逆巻く中それを宥めつつ、ご説拝聴しなければならない。

業者さんの退職した事務員の杜撰さに端を発するものであって、百歩譲って当方に咎められる点はないにしても、千歩譲れば相手の話も理にかなっていると言えなくもない。
よくよく考えれば、その杜撰さに私自身気付いていなかったというわけでもなかった。
そうであれば、私が率先して、解決の先鞭をつけてもいいくらいの話だ。一万歩譲れば必ずそうなる。

要するに、クレームなどこれっぽっちも生じないほど完璧な仕事を、私が為し得ていなかったということである。
これってありですか?と頭の中で逆ギレしている場合ではない。
謙虚にならなければいけない。
そして、ご指摘へのお礼を忘れてはならない。
至らぬ点があったことについて、弁解など交えず、ちゃんと謝ることだ。
仕事において、弁解が後向きなのに対し、謝罪は前向きな行為となるのである。

叱責一点で得た学びによって、私自身の対応の死角、盲点となっている不手際、無自覚に相手に感じさせている不満などがないか、その伝でいけば、あれもこれもといくつか思い当たるではないかと、全面展開思い巡らすことができた。
将来に渡って自分の失点を回避する見直しの機会を得たようなものであり、こんな有り難いことはない。

叱責は、栄養価満点、薬能高い食べ物として例えることができるのではないだろうか。
不味く、固く、種だらけトゲだらけ骨だらけで、咀嚼し難く消化にも悪いといった食べ物。
しかし、栄養価めちゃ高い。”精”がつく。
そんな食い物、めったにありつけるものではない。
振る舞って頂けるなんて、感謝感激、最高のご馳走となる。
喉が鳴るではないか。
文字通り、大目玉を食う、である。

ただし、「ご馳走振る舞われた」からといって、誰でも彼でも感謝して感情移入してはいけない。
経験に培われた情深い厳しさから教えを示して下さる方もいらっしゃっる一方、別にこっちのことなんてとんと気にもかけていないという場合もある。

後者の場合、毒食わされる場合が生じ得るから抜かりない注意が必要だ。
「じゃ、もういいです」で後腐れなく立ち去れる相手ならいざ知らず、詰め寄って無理難題ふっかけられたり、理不尽な対応を求められたら、謙虚な姿勢の一方で、状況見つつ、ちゃぶ台ひっくり返し反撃に討って出るようなことも考えないといけないだろう。

この歳になると叱責を受けることなど滅多にない。
しかし、叱責受けない平穏無事な日々であっても、常日頃止むことなく無言の叱責を方々からその都度受け続けていると心得た方がいい。
叱責受ける余地を完全に消し去ることは至難の技だ。
声として上らないだけで、顰蹙を買い続ける日々を送っていると知ることである。

大半の方は、それを受け流してくれたり、大目に見てくれたり、見て見ぬ振りしてくれたりしているだけであって、顰蹙買っている本人がそのことに想像が及ばないと、次第にだれも相手にしてくれなくなっていく。

疑心暗鬼になるのではなく、いろんな思いをぶつけられるのがノーマルな状態だと心して過ごせば、吸収できることもそれだけ多くなる。
題して、「エアー大目玉」である。

かといって、エアー大目玉が行きすぎて、やり玉にあがる自己イメージを強化してはいけない。
いちいち弁解謝罪風情を前面に出してヘコヘコしていては、こっちの身も心も持たないし、第一、相手からすると面倒臭すぎる対象になってしまう。
あくまで場面場面で、属人的な事柄以外で、相手の立場に立って手抜かりがないか、具体的に淡々見渡すことである。
言われる前に気付くことができて、きちんと謝ることができれば、仕事にとってプラスになる。

相手がこっちをどう思ってるかなんてクヨクヨ考えることがエアー大目玉ではない。
そんなこと考えても始まらない。
普段、24時間のうち23時間59分59.9999秒の間、相手は何やかや忙しく、逐一こっちのことなんて気にしちゃいないのだ。