躍進目覚ましい若手社長と子どもの進路の話になった。
お坊ちゃん学校へ通わせるのが最強の選択肢ではないですか。
御曹司どころが集まる学校に入れましょうよ。
社長が続ける。
そこに入れば、運がなければ出合えないようなコネクションに引っ掛かる確率が高くなる。
どれだけ営業しても相手にもしてくれないような大物にアプローチしやすくなる。
しけた環境でジタバタするより、そこで人気者になってネットワークをすいすい泳ぐ方が、大した苦労もなく旨い汁が吸えるのではないか。
手をたたき、そりゃいいっすね、と私が合いの手入れた瞬間、
「でも、そんなんしょうもないっすね」と社長みずから自説を打ち消した。
人の顔色みて算盤はじき、ご愛想振りまいて利得に与るなんてまるで男芸者である。
旨い汁吸えても、虚しい。
「よお分からんもんにおべんちゃらして生きるんならキンタマいらんもんね」
社長の言わんとすることがよく分かる。
反射的に同意の相槌をうった職業的習性を少し恥じた。
まわりの人間がいくら凄くても、本人が薄っぺらだとしたら、これはもう痛ましい。
いくら人気があってチヤホヤされても、本人に芯が通ってないなら、なんと忍びないことだろう。
親として芯でも死に切れない。
人脈やら人気の有無以前に、まずはどうあっても中身の話が先だろう。
重要度の次元が全く異なる。
そして、中身と言うのは、地味で泥臭いものである。
日々努力を積み重ね、苦心惨憺、やっとのことで身に備わる、発酵するくらいに濃厚なものであって、決して綺麗で爽やかといった類のものではない。
きわめて渋い。
楚々とした上っ面のメッキ人間とは比較にならない。
とってつけたような笑顔と世渡り上手を屏風に描いたようなご愛嬌行脚で、メッキ100%の人脈と人気の鎧は作れるかもしれないが、それは脆く、不確かなもの、空虚である。
中身が詰まっていれば、メッキの鎧など不要。
小細工する必要などなく、逆に周囲が、その力を求め頼りにし、人が絶えない存在となる。
とここまで書いて、河内長野市長選に出る島田智明のことが浮かぶ。
今日の話で言えば、島田はまさしく、中身ぎっしりの男である。
厳しい環境を通じて培った中身の充実度は凄まじいレベルだ。
「長」たるものとして、市職員の切れ者の上を行くとしたらこの人物をおいて他にはないだろう。
一般的な話として、そもそも、自治体職員に対してリーダーシップを発揮すべき首長や議員が、当の職員に比して圧倒的に能力不足で、しかも、伍する為の研鑽をする様子も一向になく、コンペやら祭りやらの行事にばかり顔出して、アイドルが人気投票を競うがごとく、に映る。
市井の声を拾うためと言うのだろうが、実社会に身を置く者からすれば、人気取りごっこしてまるで遊んでいるかのようにしか見えない。
職責を果たす資質に疑義ある者が、上っ面の人気取る才能だけで当選し、そして民意を反映させるべき行政のオペレーションが形骸化していく。
何と嘆かわしいことだろう。
7月8日は河内長野市民の価値観が問われる市長選となるだろう。
何に期待して、一票を投じるのか。
このままでは、ますますこのままである。
力みなぎる有能な若者、島田智明に地域の停滞を打ち破るという大仕事に取り組ませたいものである。
島田智明の力量をかねてから知る者として、本当にそう思う。