家内にとって隣家の女子は姪っ子みたいなものなのかもしれない。
結構気にかけ面倒みていて、向こうもなついている。
一緒に旅行までするのだから今どき珍しい近所付き合いと言えるだろう。
息子らの食事の支度を終えジムでカラダを整え、そしてこの日は昼から隣家の女子と遊ぶのだと家内は言う。
日頃は家族に尽くす専業主婦。
たまにそんな気晴らしも必要で、その分、家内が明るく楽しくなるからうちの男子らにとっても歓迎すべき話であった。
そんな木曜日午後。
出先から事務所へと戻る途上、通りかかったので家に寄ると、長男が体調を崩していた。
ひとり暮らしの緊張が一気に弛んだせいに違いない。
クルマに乗せ、わしお耳鼻咽喉科に連れ即座処置してもらった。
地元に頼りになる医師がいる。
なんと心強いことだろう。
夕飯の頃には回復の兆しが見え、長男を含め家内とわたしの3人で『SKYキャッスル』最終回を見始めた。
全編を貫いた毒々しさが抜け、平穏な日常が描かれる。
憑き物が取れたかのような登場人物らの表情はおだやかで、最終回だけ見れば人畜無害なホームドラマのようにしか見えない。
しかし随所にチラリ、これまでを通貫していた狂気の片鱗が垣間見える。
犠牲者のことが思い出され、ドラマの苦味がよみがえる。
むきだしのエゴが、そこのけそこのけとドラマのど真ん中を突っ走り続けた。
全員が全員を嘲って傷つけ合って、だから最後に毒が抜けても全員がハッピーということにはならず、結局、一番不憫で弱い者が犠牲となった。
捧げられた生贄のような存在があったからこそ、皆が正気に返ることができたと言えるだろう。
どこか遠くの非現実的な話ではない。
わたしの周囲にもそんな類の者があったことを思い出さずにはいられない。
年端も行かぬ子に法外な志望校を口走らせ、それで得意になっていたあの母親はどうなったのだろう。
波乱に富んだ全20話を経て最後、親は着地すべき地点に到達し、穏やか胸満ちるような気持ちで子らのことを想うことになる。
そういう意味で超一級の娯楽でありながら、教育的な側面をも有すドラマであったと言っていいだろう。
見終えた頃、二男が勉強を終え帰宅した。
早速公園でトレーニングをこなし、リビングで筋トレをはじめた。
手に見慣れぬダンベルを持っている。
聞けば、隣家の女子に借りてきたのだという。
醤油や味噌は借りても、ダンベルを借りるなど一般的ではない。
隣家の軒先、ダンベルを貸してと頼む二男の姿を思い浮かべて夫婦して笑った。
近所仲が良いのは、やはりいいことである。