KORANIKATARU

子らに語る時々日記

クルマがお茶の間


家族揃って出力全開の年末である。
期末テストに臨む長男をクルマに乗せ休日の仕事場に明け方から乗り込んだ。
私は仕事、長男は勉強に取り組み、私はついに音を上げ失速し、そんな無様な父を尻目に長男は作業続行中である。

後で物理の質問がわんさかあるという。
ただでさえ大車輪の年末である。
日曜くらい早めに帰って休みたいが一家の主、受けて立たない訳にはいかない。
物理くらい何でもない。


家内は家内で二男を乗せて間もなく家路につく頃だろう。
各自持ち場があって忙しく、点でバラバラに暮らすようであって、案外、クルマに乗り合わせる時間など勘定に入れれば、同じ空間を共にする場面は少なくない。

私と家内という二人のドライバーが、どちらかを乗せ東へ西へと走っている。

もちろん家では同じ屋根の下、一緒に暮らすが、一歩外に出ても、結構、連れ立って動いていることになる。


クルマには昭和の懐メロから最新の洋楽まで数々の名曲が搭載されている。
それら音楽を一緒に浴びて過ごすのであるから、我が家においては、クルマがお茶の間と言えるかもしれない。

かつての日本、お茶の間はどこの家庭にもあった。
そこで家族が過ごし、テレビで歌番組などみて、時代の空気を共有してきた。

まどろっこしい「間」という「間」が日本の様式から姿を消し始め、お茶の間も例外ではなくどんどんその存在感を薄めているように思える。

我が家でも家族揃って一緒に過ごすという時間はどんどん少なくなっていく。
それでも、移動中の「間」の時間、車内が見事、お茶の間となっていた。
何気なく過ぎていった時間の内実にいつか子らは気づくことになることだろう。
両親それぞれの橫顏とともに。