KORANIKATARU

子らに語る時々日記

モロッコでマカレナ聴いて西欧に焦がれた。


身の毛がよだつとは、こういうことを言うのだろう。

イスラム国の幹部がオーストラリアにいる実行部隊に無差別殺人を指示した。
複数の都市でオーストラリア市民を無差別に拉致誘拐し、ナイフで首を切断しその映像をネットで公開するのが目的だという。

たまたま幹部の電話が傍受されオーストラリアにおいてはこの一件が明るみとなった。
しかし容易に想像できるようにこれは氷山の一角に過ぎないのだろう。

一昔前までは、イスラム過激派の戦闘員はイスラム圏が供給源であった。
過激派リーダーは、失業と貧困に喘ぎ行き場を失う若者にジハードという大義を与え、そして若者は命を預けた。

社会矛盾が大きくなればなるほど、構成員の獲得は容易となる。
アラブの春以降の混乱は、過激派にとってはうってつけだった。

そして、時代はソーシャル、モバイルの時代。
イスラム国は、世界規模で末端までその主張を行き届かせることに長けていた。

イスラム圏を越え出てその大義を説き、賛同を募って戦闘員を集めることができるようになった。
いまや様々な国の中流階級以上の若者までが組織に合流し戦闘地域に流入し、イスラム国は世界いたるところに散在するような存在となりつつある。


今から20年ほど昔のこと、1996年6月に私はある人に会うためもあって、モロッコを一人で旅したことがあった。

ロンドンから空路タンジールに入り、各所で過ごしながら列車で内陸に向かった。
フェズを経て、その年に世界遺産に登録されることとなったメクネスを訪れた。

そこで目的を果たし、今度は夜行バスに揺られて風光明媚だと地元の人に教えられたナドールに向かった。
モロッコ北東部に位置する海の町である。
スペイン領であるメリリャのビーチが素晴らしい。

地中海で泳ぎそこで数日過ごした。
行きつけのケバブ屋ができ、言葉は通じなかったが、本当に肉が美味しくて私はそこでばかり食事した。

ふと次の行き先を考えた。
まだ数日の猶予がった。
目と鼻の先にアルジェリアがある。

何か交通手段があるかもしれない。
どうやったら行けるのかとダメ元でホテルの兄ちゃんに聞いてみた。
もちろん、アルジェリアが内戦状態であるのは知っていたので、私自身、本気で行くつもりではなかったと思う。

ホテルの兄ちゃんは、びっくりしたような顔してきつく私を制した。
絶対に行くなと。
見るものなど何もない。
人間が行くような場所ではない。

反政府イスラム武装集団がありえないほどの残虐さで無数の人を殺しまくっているということであった。

実際、96年はその殺戮行為が過激さを増すばかりの時期であった。


ナドールから、元来た道を延々と辿る帰途についた。
長時間バスに揺られタンジールに到着したときには、もうクタクタであった。
旅が濃厚に過ぎた。

人は親切で肉も美味しい。
しかし、仕事がないような若者が昼間から多くたむろし、日本人観光客だと見れば寄ってくる彼らの濃厚さは、一歩間違えれば危険感じる場面もあって長居すればするほどしんどさが蓄積してくるのであった。

一夜をホテルで過ごす。
フライトまでに十分に余裕はあったが、はやるような気持ちでタクシーに乗ってタンジール空港に向かった。

空港に到着するが、明確に様子が変であった。
ロンドン行きの飛行機が飛ぶにしては、空港が閑散とし過ぎている。
チェックインのカウンターに人もいないような有り様である。

そして知った。
チケットに記載されたこの日この時にロンドンに向かう航空機など存在しないことを。

タクシーで市街に取って返しエアーモロッコのオフィスに向かった。
疲れていたのだろうか、「このまま帰れなかったりして」と冗談っぽく思い浮かべたつもりが、芯まで不安が迫って胸が苦しくなった。

エアーモロッコの窓口で空チケットを交換してもらう。

幸い翌日の便があった。それだけでもう十分だった。
出国できれば、もうそれでいい。


前日と同じリーフ・ホテルに舞い戻る。
モロッコ滞在をもう一日楽しもうなんて酔狂な気持ちは一切生じない。

そのとき、MTVでマカレナが流れ、続いてジーナGの曲が流れた。
虚ろな目に行き先がはっきり映ったかのよう、たちまち意識が覚醒した。

それは西欧文化そのものであった。
テレビという覗き穴から、恋焦がれる西洋が垣間見えたのであった。
西欧への憧憬がこれほど掻き立てられた瞬間はこれまでなかった。

いい気なもんだとどこまでも浮ついたそれら曲を耳にすれば、今でも私はとても幸福な気持ちに包まれる。

この社会にあることの有り難さをしみじみと噛み締めたいといった気持ちとなる。

 


今夜、二男を塾まで迎えに行く。
車内で用意する音楽は、当然に「Macarena」と「Ooh Aah... Just a Little Bit」の二曲。

モロッコの片隅で耳にし焦がれるような気持ちとなった「二大浮ついた西欧ポップ」を流しつつ、この社会にあることの幸福について解説しようと思う。

そして、あれから約20年、モロッコ政府が今年の7月に自国のテロ警戒レベルを最高度に引き上げた。

日出ずる国日本から日没する西方マグリブへの旅行はもうかなわないこととなるのかもしれない。