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私も奥に引っ込んでいるばかりではない。
申請に出向くことがある。
蒸し暑いにもほどがある大阪らしい秋もどきの日中、私は大阪府庁咲洲庁舎1階にいた。
私が申請する横の窓口に、ご老人が座った。
スーツが少し草臥れている。
担当者と和やかに雑談している様子から、そのご老人が窓口ではお馴染みの書類屋だと分かる。
横で交わされる会話を聞くともなし聞いていると、77歳だという言葉が耳に入った。
思わずそのご老人に目をやってしまった。
77歳、現役書類屋の姿が目に焼き付いた。
畏敬の念が込み上がる。
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私が77歳となるのは32年後。
その時までもし書類屋の制度が残存しているなら、私もそのようでありたいと素直に望むような気持ちとなった。
その頃には、おそらく孫が何人もいて、彼ら彼女らの年格好はちょうど今の君たちくらいだろう。
「子らに語る時々日記」はとうの昔に役目を終えていて、「孫らに語るドキドキ日記」みたいなものを毎日書いているはずだ。
当然のこと家内も元気にしているに違いない。
そのような人生の暮れどき、生活の心配もなく健康の不安もなく、かくしゃくと尊厳保って仕事できるのなら、こんな素晴らしいことはない。
御年七十七となっても依頼に応え、若手が動くだけでなくたまには大御所が腰を上げる。
慌てず騒がず、自らにとって適量の仕事を日々こなす。
そのような時間がやがて訪れるのだと思えば、地続きで繋がるその時に備え、活用可能な能力と情報を気長のんびり蓄積していこうというとてもおおらかな気持ちとなる。
小さな小さな世界であっても構わない。
それでもささやかリスペクトされる晩節を迎えられるのであれば人生冥利に尽きるというものであろう。