1
夕暮れ時の街路、通りの向こう側に知った顔を見つけた。
おーい、と界隈の視線を一挙に集めてしまうほどの大声で呼びかけた。
まるで子供みたいだと思いつつ、信号を駆けて渡って走り寄った。
彼は家族連れであった。
美人の奥様に続き、ご子息が「こんにちは」とぺこり頭を下げ挨拶してくれる。
笑顔が可愛い。
こんにちは、と返すより前に、君は可愛いな、と私も顔がほころんだ。
そして彼とご子息は瓜二つだ。
はるか何十年も前の彼の姿がそこに蘇ったようなものである。
むろん、ご子息の方がはるかに礼儀正しく育ちがいいのは一目瞭然。
2
可愛らしさは、追い風となる。
別に美醜の話ではない。
人を引きつける愛嬌のようなもののことである。
何とも可愛い、と好意を持てば、ヒトのDNAにそのように刻まれているのか力になってあげたくなる。
その逆、何て可愛くないのだ、と嫌悪してしまうと、おぞましいような感情が湧いてくるから、これは相当におぞましい。
3
可愛がられるうちに可愛がられた方がいい。
老齢の営業マンがかつて私に言った言葉である。
売上抜群の若い営業マンは、これは天賦の才であり、この調子が一生続く、と錯覚する。
商品があればいつでもどこでも売ることができる。
そのような自信が更に上昇気流を作り、ますます売れて、有頂天となる。
単に「若いから」売れていたと知るのは四十も半ばを過ぎた頃だろうか。
売上抜群は、若さゆえに客から単に「可愛がられていた」だけの結果であったのだ。
おっさんになってしまうと、飛び込み営業でニコリ笑っても相手にされない。
気味悪いだけとなる。
4
可愛いさという「力」には旬がある。
その旬の時期をてこにするか、無為にするか。
将来は雲泥の差となる。
若くても可愛いくなければ端から問題外である。
しかし、若くて可愛いのであれば、その力は、発揮した方がいい。
そして、それが旬のものであり、いずれ効力なくなるものであるとあらかじめ知っておくことである。
だから、営業マンであれば、可愛いがられるうちに可愛がられて顧客を築き、おっさんになってからは、若い者を前に出し、自らは奥に引っ込むべきだということになる。
おっさんになっても売れると勘違し、ニコリ笑うことほど薄ら寒いものはない。
5
たとえばその他、二代目の若社長。
先代の取引先など知るかボケ、とやってしまって、おっさんになってから、笑顔が可愛いくなくなってから縁を戻そうとしても最早手遅れとなる。
二代目のうち、きちんと可愛がられて、つながりを更に強固なものとしなければならない。
きちんと可愛いがられると、その相手はいつまでも可愛いがってくれる。
先代の縁も盤石、可愛いさで更に縁も広がり、相乗効果でますます繁盛となる。
6
だから独立するのも若いときの方がいい。
特別希少な専門職でもない限り、50歳で独立しても、可愛くないので、お客は寄り付かない。
駆け出しの若い御用聞きというのは大抵可愛いものだ。
その先の未来に関われるような気がするからだろうか、お客は気をかけ目をかけ発注してくれる。
ところが、歳取った御用聞きとなると、細かな事情抜きに何とも哀れに感じ、気が塞ぎ胸が痛むので関わりを持ちたいとは思わない。
気の毒だができれば帰って欲しいし、顔も出さないで欲しい。
そう思うのが人情だ。
独立を先延ばしにしても、残り福はない。
7
濃緑の葉がわさわさ繁って陽の光を集め、樹木がぐんぐん成長するみたいなものである。
可愛さは若さに属し、その成長を決定づける最重要ポイントとなる。
ちょっとは可愛く振る舞えているだろうか、若い時はそのような自問自答があるべきだろう。