KORANIKATARU

子らに語る時々日記

人としての正しい振る舞いを謙虚に学ぶ。


コインパークの精算機に0円と表示される。
故障かと訝しむが、駐車枠を確認すると既に車輪止めのストッパーが降りている。

今しがた誰かが誤って私のパーキング代金を精算してしまったに違いない。
900円が宙に浮いた。
あたりを見回すが、900円を取り返そうという素振りの人もおらず、900円を返せというメモも見当たらない。

ふと想像する。
誤ったのではなく、善意の人であったのかもしれない。
その人はどういう訳だかとても気分が良かった。
いいことでもあったのだ。

ホールインワンした時に幸運のお裾分けするみたいに、彼は嬉々小躍りするみたいにコインをわんさか精算機に投入し次から次へと精算していった。

誤って900円払ってしまった惜しい悔しいと地団駄踏む人間を想像するより、ホールインワン説の方がはるかに楽しい。


甲州シュールリー という白ワインを開け、映画「42」を見始める。
黒人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンを描いた作品だ。

いい映画が尽きない。
この映画もまた必見と言わざるをえない。

あれやこれや誹謗中傷絶えない世を生き抜く上で欠かせない心得をこの映画から学ぶことができる。

1940年代、黒人への差別は依然として根強く、ベースボールの表舞台に「しゃしゃり出てきた」ジャッキー・ロビンソンが受けた逆風は並大抵のものではなかった。
野次嘲笑の餌食となる。

そんな中、彼はやり返すガッツではなく、「やり返さないガッツ」を体現し続けた。

ジャッキー・ロビンソンは、心ない差別主義者らのレベルでは決して戦わない。
I don't think it matters what I believe, only what I do.
と言い、自らの役割を果たすことにだけ寡黙に集中していく。

彼は妻にこう語る。
I don't care if they like me. I didn't come here to make friends. I don't even care if they respect me. I know who I am. I've got enough respect for myself.

何を言われようが、どんな理不尽な目に遭わされようが、目的は確固とし揺るぎなく、彼は自らを見失わない。

その姿はただただ気高く、観る者は強烈な何かをインスパイされることになる。


先だって、やや感情的になることがあって、感情的になるとこの日記も言葉遣いが多少行儀悪くなってしまうのだが、後で振り返ればみっともないことこの上ない。

感情のまま品位欠く言葉を使うと、もの言えば唇寒し、どころではなく、後で必ず顔から火が出ることになる。
悪い言葉は、全部自分に返ってくるのだ。

貶められようが呪われようが、要はそれは呪詛する側の問題であり、一つの意見として有用な要素がないのであれば、聞き流し沈黙するのが最善であろう。

腹が立ったからと言って、ちらとでも言い返せば、そのレベルに「感染」してしまうことになる。
こんな後味の悪いことはない。

このような文脈で、あれやこれや考えていた私にとって、この映画が与えてくれた示唆は相当に有益なものであった。

人としての正しい振る舞いについて、映画から謙虚に学ぼうと思う。