KORANIKATARU

子らに語る時々日記

人間につきまとう始末の悪さ


揚げたてのエビフライに自家製のタルタルソースをつけ食べる。
うちの家内は料理上手。
なかなか上出来、かなり美味しい。
二男はご飯をお代わりし、私は白ワインをお代わりする。

交わす話題はイースター島のモアイ像。
このほど、モアイ像には地中埋められた巨大な胴体があったと話題になった。

奈良の大仏とモアイ像、どちらが大きく、どちらが古いのか、ネットで調べつつ食事する。

当時の治世者はどのような思いに駆られて、それら巨大なモニュメントを建立したのだろうか。
単なる暇つぶしや虚勢だけではできないような大事業である。

当時の人々の様子や胸に宿していたであろう切なる何かについて二男とともに想像を巡らせる。


土曜夜はリビングでひとりお酒飲みつつ映画鑑賞。
先日同性婚を認める憲法改正が行われたばかりのアイルランドを舞台とする映画を借りてあった。

厳格なカトリックの国とは知っていたが、93年までは同性愛は犯罪として罰せられ、96年までは離婚さえ許されず、人工妊娠中絶については現在でも憲法によって原則禁止されているとまでニュースで聞けば、その実際について一端でも知っておきたいという気持ちになる。

「あなたを抱きしめる日まで」(原題: Philomena)をまず見るが、本当にそんなことがあったのかと心ゆさぶられ、夜更かして立て続け「マグダレンの祈り」(原題:The Magdalene Sisters)も見ることになった。


不浄とされた女子を収容し強制労働させる施設がアイルランドには96年まで存在していた。

彼の国において婚外の性交渉は女性の罪とされた。
たとえ被害者の立場であっても同じことであり、単に男好きのするような雰囲気を漂わせただけでも矯正の対象とされた。

過酷な労働に奉仕させることで罪を負った女子を救済する。
それが施設の趣旨であった。

しかし、環境整えば人間というものは欺瞞的になって堕落するものなのであろう。
神に仕える身であるはずのシスターや神父といった聖職者の独善が目を背けたくなるような暴虐へと変質していく。

不浄な女子は施設内において聖職者らに蔑まれ虐げられる。
自由を奪われ「矯正」させられる女子らの実質は奴隷であり、食料も十分に与えられず性的にも貶められた。

不浄な性行為の結果生まれた赤ちゃんは授乳期間だけは施設で養育されるが、その後、お金で売られ養子に出される。
このとき、母は子供の権利の一切を放棄させられる。

そのまま行方知れずとなった子供も数多い。
いまなお我が子を探し続ける母親がアイルランドには6万人もいるという。


後日談として、それら施設から子供の遺体が800体見つかったやら、150体見つかったやらというニュースが伝えられる。

どれもが栄養状態の悪さを如実に物語る遺体であり、中には骨折した遺体や首のない遺体もあったという。

おそらくは自然死だけではない、何か惨たらしいような出来事があったのだろう。

どこか未開の地、遠い昔の話ではない。
先進国での最近の話である。

人間一般についての「始末の悪さ」にげんなりとしてしまう。
まさに、アーメンという他ない。

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