KORANIKATARU

子らに語る時々日記

地獄絵図に戦慄し、眠気は雲散霧消した。


お盆は三ヶ日だけ休むこととし、ささやか夏休みをその翌週にとる。

だからしばらくは単なる「平日」が続くだけなのであるが、周辺の多くがこの土曜から9連休に入ると思えば、なぜなのだろう、平日を過ごすだけの身であるのにバカンス気分に伝染し旅情をかき立てられてしまう。

旅心を胸深く吸い、うっとりしてから、吐いて現実に向き合う。
そして、また吸うという繰り返し。

そして、我が家家族の面々はすでにハッピーウィークに差し掛かっている。
二男は昨日で部活が終わり、長男も夏休みに入った。
家内は、あれこれ予定があって賑やか忙しい。
私を残し家族連れ立って旅にも赴くようだ。

日常の繰り返しを余儀なくされる私を横目に、いや横目どころか気にかける様子は一切なく、彼ら彼女らは夏の解放感に浸り始めた。


風呂あがり、ソファに寝転び二男にヘッドスパで頭部をケアしてもらう。
買ったまま放置してあったヘッドスパを、夏休み気分も手伝って、どれどれと開封し二男がセットしたのであった。

愉悦に浸る。
トロケル気持ちよさだトロピカル。

二男に礼を述べ、眠気の繭に包まれるかのような心地よさのまま寝室に向かった。


ベッドに寝転がる。
空調が効いて、シーツは真新しく、寝具はよく日干しされて陽の香りがし、そしてフカフカだ。
枕元にはよく冷えた紅茶の入ったティーポッドが置かれている。

入眠儀式として本を読む。
今夜は二男、長男が読み終えた小林よしのり氏の「卑怯者の島」を手に取った。

地獄絵図に戦慄し、眠気は雲散霧消した。

戦争の悲惨については、折に触れ向き合わないと平穏な日常のなかうっかり忘れ去り、遠くの他人事といった、ほとんど虚構のようなものくらいにしか思わなくなってしまう。

ここに描かれたようなことは、ほんの70年前に実際に起こったことであった。

舞台は孤島。
敵に包囲され、生き延びる道は閉ざされていく。

「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」、戦陣訓が絶対的な掟のように作用した。

敵の捕虜になるなど恥辱でしかなく、それ以上に、そのことで残された家族が迫害を受けるかもしれないのであれば助けを乞うなどできるはずがない。

食べ物は枯渇し、虫でもネズミでも動くものなら何でも口にする。
人肉だって食の範疇となる。
小便でも泥水でも液体であれば、喉に流し込む。

負傷し、病に伏し、飢え、孤島の洞窟に身を潜めながらあらゆる消耗に苛まれつつ、敵に一矢報いる機をうかがう。
しかし戦況は絶望的だ。
まさに悲惨そのもの、これこそ地獄。

死の淵にある日本兵の脳裏に、故郷がよぎる。

日本には山があり、川があり、田があって、村には仲間がいて、見初めた女子があって、父があって、母があって、正月があった。

ふと気付けば、故郷の光景は消え失せ、視界は縁もゆかりもない洞窟の殺伐に覆われる。
その対極的なコントラストが悲痛さをさらに掻き立てる。

戦争ものにありがちな、女子の美化もない。
戦争の大義がどうの、お国がどうの、といったことは、女子からすれば他人事。
戦争についての女子の醒めた感性がよく描かれていて、その女子を思う男子の虚しさを際立たせる。

すがる藁すらない孤絶のなか、絶望だけに侵蝕されていく。
ここに置かれた魂の苦悶が、現在形で蘇るようであり、胸が苦しくなってくる。

私は寝そべり、真夏なのに少しひんやりするくらいの部屋で過ごしている。
喉が乾けば、冷えた紅茶をいくらでも飲むことができる。

こんなことはやはりあってはならない。
私だけでなく、誰もが胸に刻み込むべきことであろう。


いま、平和を享受できる世にあって幸いだ。
戦争など起こるはずがないし、まして意に反して戦場に送り込まれるなどあり得ないことであろう。

しかし、なんであれ、可能性がゼロと断じることはできない。
起こり得ることを突き詰めて、あらゆるケースを想定し、それでゼロを導き出すのは楽観に過ぎ、それが百%あり得ない、という決め付けほど危なっかしいものはない。

だから当然、やむにやまれぬ事態が生じ日本人が当事者として腰を上げなければならない場合もあり得ると想定し、そのような非常時に備えた対応策を講ずべきことは当然のことであるだろう。

ただ、その対応策の導出にあたっては、「場合によっては戦争をし得る」ことより先に、巻き込まれることすら含めて「徹底的に戦争を回避する」ことを大前提とした思想が根本に来なければならないはずである。
前者と後者の優先順位を違えれば、導き出される解は異なるものとなる。

今、日本国政府はじめ日本全体が、やや前のめり、手っ取り早く性急な、つまり前者の思考に傾いているように思える。
あちこちでその思考を後押しするような勢力が知らず知らず芽吹き始めているのは、関西屈指の穏やかな土地柄を誇る西宮芦屋選出の議員が超タカ派であることからも窺い知ることができようというものだ。

あれだけの犠牲者が出てまだ70年しか経っていない。
もう少し腰の座った意思決定のプロセスは辿れないものなのだろうか。

美しい国とあの首相が高らか謳ったとき、私達はもっとド派手にずっこけるべき、いや怒ってもいいくらいのものであったのだろう。

お上がする空虚で上滑りな抽象的言説が、先の大戦において酷たらしい具体的顛末をもたらしたと言っても言い過ぎではない。
相当に罪深いことであるに違いない。

上官は出撃せず、為政者らが多数生き延びた先の大戦であった。
全幅の信頼を寄せてくれる思考停止ほど国家権力からして重宝なものはない。

「卑怯者の島」を読み、断末魔のなかに置かれ死んでいった無数の無念に厳粛な思いとなった。
あの極限のリアリティをマンガという伝播性の高い媒体で表現した作者の仕事の意義はたいへん大きいと言えるだろう。

子らに読ませて正解であった。
為政者がしかねない、耳当たりのいいような、勇ましいような、威勢のいいような、要はご都合主義的な扇動に対する効果的な予防接種となったことだろうと思う。

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