1
午前中、市内での用事を終える。
午後は河内長野での仕事となる。
その前に腹ごしらえ。
ラーメンシリーズは一時中断し、この昼は寺田町の老舗名店、舟屋を訪れた。
13:00過ぎであったが待ち客が絶えない。
私達は運が良かった。
待ち時間はたったの10分で済んだ。
奥の席に案内され着席と同時に、うな重上を2つ注文した。
ああ、待ち遠しい。
待つこと5分、御膳が置かれた。
ツバメ君と向かい合い、黙して食べる。
無駄口たたいては勿体無い。
味に没入する。
こんなに柔らかくてとろけるような鰻を食べたのは初めてです、ツバメ君の言葉がこの店の美味しさを物語っている。
2
文の里から阪神高速に乗って三宅で降りる。
河内長野までは一時間強の道のりであった。
訪問先のところどころで、市長の話になる。
現職市長の評判はどこで聞いてもあまり芳しくない。
冷ややか邪険に思うような声が多く、あれこれ批判に晒される立場に対し同情の念も禁じ得ない。
歯車が噛み合わないのか、市の職員との会話を避け口もきかないとも聞いた。
そう言えば、市街くまなく倦怠感のようなものが漂っているようにも見える。
うら寂しい草臥れ感を静か味わうなら、河内長野を訪れるのがいいかもしれない。
現職は何がしたくて市長になったのだろうか。
なぜわざわざ立候補したのか不明なまま任期が過ぎる。
もし来年、再々選を果たすのであれば、河内長野は更に静まり返りますます尻すぼみという様相となるのかもしれない。
本日の業務を終え河内長野市民であるツバメ君を自宅まで送る。
私は帰途についた。
3
三宅までの309号線の流れは順調であった。
阪神高速の掲示に渋滞情報は出ていたが、環状線まで15分なのであれば大したことはない。
そう判断し高速に乗った、が百年目。
ドツボにハマることになった。
15分の表示が20分となり25分となる。
表示は事態を甘く見ているようにしか思えない。
眼前はるか万里の先まで団子状態でクルマが数珠つなぎとなっている。
地上存在する車両が総出で列をなすかのような壮観さだ。
クルマは遅々として進まない。
高校野球でも見るしかない。
秋田商の成田投手は上背はないが、ボールのキレと制球が傑出している。
凄い投手であるが、しかしやはり、クルマの列は動かない。
やがて遠くに文の里の出口が見えてきた。
出口に向かっても列ができているが、並んででも脱出するのが賢明だと判断した。
そもそも高速に乗ったのが誤りであった。
高速に乗って降りて、その間の時間を思えば、クルマを押して歩いたようなものであった。
高速を降りた途端、ナビが表示する到着時刻が一気に40分早まった。
4
事務所に寄っていくつか連絡作業を終え家に帰る。
甲子園口の商店街近くにクルマを停め、酒屋で瓶ビールを買い、界隈きっての名店で焼鳥を見繕う。
家は留守。
家族は今頃リゾートで夏を満喫し過ごしていることだろう。
留守を守って私は一人飯。
振り返れば、ひとり暮らしも長かった。
たまのひとりも気楽でいい。
と思ったのも束の間のことであった。
寝床でふと目覚め、ひしと痛感する。
独りとは、なんと寂しいことなのだろう。
今日5度か6度目の寂寥が胸を去来する。
電気つけっぱなしで寝る長男はおらず、明日の備え準備万端ですやすや眠る二男もいない。
毎夜遅くまで弁当の支度する家内はおらず、キッチンからは物音一つしない。
ゾクリと喉元まで込み上がってくる虚しいような寂しさだ。
家族と暮らし過ごして、孤独への抵抗感が軟弱化したのだろう。
一人暮らししていた当時のひそやかさを思い出す。
電話の鳴らないワンルームで夜、一人で本などを読んで過ごしていた。
よく気が変にならなかったものだとも思うが、それを余儀なくされれば慣れてしまうものなのだろう。
人は元来一人で生まれ一人で死んでいく、と喝破したのは田山花袋であっただろうか。
孤独感に苛まれないためにも、どの道いつかは一人となるのが標準型、と思っておくくらいがちょうどいいのだろう、というよりもそれが真実、その現実を直視し向き合わねばならない。
だからたまには一人となって、孤独の空気に静か佇むことも人生の研修として不可欠なこととなる。
そのようにつらつら思っていると次第次第、一人であることの分量に馴染んで調和したような境地になってくる。
腹さえ決まれば、ひとりでいるのも悪くない。
要は、他の事柄と同様、考え方次第ということなのであろう。