時間は数種に区分される。
寝床から起き上がる際の逡巡から一日は始まる。
布団を蹴上げる程に元気ハツラツ迎える朝は滅多にない。
お定まりのルーティンなプロセスを経て無味な時間を勤勉に過ごす。
時折は一心不乱となって忘我のうちに時間が過ぎていく。
日が傾きはじめる頃には次第に弛緩も許される。
収穫の秋とも言える時刻。
自らの出力の豊穣を愛でつつ帰途につき、その余韻に浸る。
この閑寂の時間に音楽が染み入ってくる。
音楽の存在感は絶大だ。
ありふれた場面に色が添えられ、その瞬間が唯一無二となって刻まれる。
記憶には音が附随し、音が記憶の封を開ける。
懐かしい曲が流れる。
その当時の空気がどこからともなく立ち現われ車内に満ちる。
子らの横顔が浮かぶ。
その時の在り様が鮮やかよみがえっていまの時間に混ざり合う。
いつものとおり。
家に帰ると現在形で家族が健在。
家内がこさえた料理を囲み子らと言葉をかわす。
昨晩について言えばこんな話。
長男が言う。
試験が終わった日に友人らが家に泊まりにくることになった。
それは喜ばしい。
友達はいいものだ。
いつまでたっても友達は友達。
今日私も東京の友人らとメールした。
今度会う。
楽しみだ。
家内と私で食事と寝具と風呂について話し合う。
手作りでは追いつかない、寿司でもピザでも取ればいい。
風呂については私が彼らをクルマに乗せて熊野の郷へ連れて行こう。
寝具は隣家に借りればいい。
二男からは黒糖トーストの思い出が語られる。
今年春に訪れ過ごした西表島で毎朝それを食べた。
あれほど美味しいものはない。
ああ、また行きたい。
彼は遠くを見つめ、心ここにあらずといった様子だ。
おそらくは試験中だからこそ。
中学受験を終えたばかりのトロピカルな夢見心地が頭を巡って止むことがない。
その気持ちは痛いほど分かる。
ほろ酔いの上機嫌のままわたしは微睡み時を移さず安らか枕に頭を預ける。
この繰り返し。
試練はごく僅か。
過半は平穏で幸福な時間と言えるだろう。
長く生きれば生きるほど、試練など習い性の話となって苦楽の範疇外、それすらも味わい深い時間へと変容していく。
今日は二男の誕生日。
ちょうど二男が生まれたのと同じ時間の頃。
クルマ走らせ信号待ちで東の空を見上げた。
空には煌々と明けの明星と有明月。
まもなく太陽のお出ましだ。
今日もよい日となる。