小松菜をたっぷりと鍋に投入しテールを煮込み、裏庭で育ったミントの葉でシロップを作っているとインターホンが鳴った。
家内は階段を駆け下りた。
八尾の実家からうちの息子たちに牛タン、牛バラ、ホルモン、ウインナーといった差し入れが届いたのだった。
その昔、GWとなれば家族で家内の実家を訪れ肉をごちそうになった。
義父が炭で火を起こし義母が特製のタレを作ってくれ、そこで食べる焼肉はそこらの店よりはるかに美味しかった。
子らが小学生になるとカブスカウトやらラグビーの練習やらで週末の時間が塞がって、おのずと足が遠のいた。
届いたばかりの差し入れについて家内からメールで知らされ、わたしの頭には遠い昔の平和なGWの光景が頭に浮かんだ。
子らはまだまだ食べ盛り。
息子らへの好意がありがたく感謝の念が込み上がった。
そして長男に送る荷物がその差し入れにより倍増することになった。
大きな荷物を3つ載せ、家内は郵便局を目指し自転車を漕いだ。
荷物が重すぎたからだろう。
運動神経抜群の家内であるが、一度、転倒してしまった。
それでもめげずにゆうゆう窓口にたどり着き、その場で荷詰めするのにも骨が折れたが、なんのこれしき、息子においしいものを届けたいとの母の一念が揺らぐことはなかった。
この日わたしは二男と夜まで事務所で過ごした。
久々の事務所ごもりであったので、彼が食べたいものをテイクアウトし一緒に食べた。
昼はタコ焼き、夕は寿司。
二男は食べて懐かしいと言った。
彼が事務所を勉強部屋に使っていたのは小中の頃。
風風のタコ焼きも、鮮や丸の寿司も彼にとっては郷里の味のようなものと言えた。
午後8時過ぎ、帰途についた。
クルマのなか辛坊治郎さんの『ズームそこまで言うか』を流し、その喋りのうまさについて二男と意見を交わし合った。
帰宅すると家内が簡単な晩酌メニューを用意してくれていた。
お酒は、家内作のモヒート。
家内とともに一日を振り返り、モヒートをお代わりしたところで眠くなりわたしは自室へと引き上げた。
寝具は陽の匂いがし、窓を開けると部屋にジャスミンの香りが立ち込めた。
実に快適。
寝床でちらと考える。
もし家内がちゃらんぽらんな遊び人だったら家庭はどうなっていたのだろう。
たとえば、こういった休日。
専業主婦にも余暇が必要、あんたも仕事ばかりしてないで今日は家事をしろ、と強弁されて歯向かえず、着飾った女房が外で羽根を伸ばして際限なく駄弁って遊んで跳んで跳ねる。
その間わたしは子らのお守りと家事でてんやわんやのまま、あっという間に一日が過ぎていく。
独断的な身勝手にこの身を捧げ、不本意のまま擦り切れるばかりで何も育たず前進からはほど遠いといった暮らしになっていたのではないだろうか。
そんな日々が蓄積すれば、すべてが無へと漂白されるようなものであるから血の気が失せる。
幸い、実際はその正反対だった。
家事のすべて、子育てのすべてを家内が引き受けてくれた。
だからわたしは気兼ねなく仕事に励むことができ、子らはスポーツに勉強にと雑念なく集中することができた。
おそらくその気になれば家内もどんな仕事であれバリバリ頭角を現すことができたはずであるが、家族のため黒衣に徹してくれた。
影の立役者、と言うにはあまりにその存在が大きい。
今日一日をふと振り返り、この暮らしの土台の強固盤石に思い当たり、家内が果たしてきた役割の大きさに改めて気づくことになった。
人生はまだまだこれから。
男三人で家事を手伝い家内をいたわり、あとは存分に楽しんでもらおう。
息子らもおそらく同じ気持ち、まったく異存はないだろう。