KORANIKATARU

子らに語る時々日記

わたしの素がわたしへと組成されていった場所


大学の恩師が来月60歳の誕生日を迎える。
還暦のお祝いが催されるということで、当時の研究室の仲間らがその日に合わせ各地各所から参集することになる。

日が近づくに連れ懐かしい面々を発信元とするメールが目立ってくる。
お祝いの後、当時机を並べた理工の仲間が集まって別途飲み会も行われる運びとなった。

大阪に引きこもって仕事するような私などからすれば、心はやる再会の宴。

友達がいる、というのはやはりとても素晴らしい。
よお、久しぶりという輪があってこその人生だ。


先日、二男から聞いた。

試験直前、心を落ち着けるにはどうしたらいいか。
彼は塾の先生に教えられた方法を実践した。

まずトイレに行く。
水道水で手を10秒濡らし続ける。
そして窓外をぼんやり眺める。
すると、その場が慣れ親しんだホームのような地となる。

実際、それで心静まったという。

さすが塾の先生。
子どもの心のスイッチ操作に長けている。


早稲田を受けた日のことは記憶に明瞭だ。

宿は新宿ワシントンホテル
近くにあったファーストキッチンでバーガーをテイクアウトし部屋で一人夕飯を済ませた。

夜が深まるつれ不安がいや増しとなった。
凄まじいような緊張に苛まれた。

数々試験を受けてはきたが、後にも先にもあれほど緊張したことはない。

ほとんど一睡もできなかった。
激しく混み合う朝の地下鉄東西線にもみくちゃ、路上に吐き出されるようにして試験会場に放り出された。
その時点でフラフラであった。

自信満々であり楽勝であるはずだった。
しかしそんなおめでたい気分は上京し下見するまでのこと。
呼応し強く響くものがあったに違いない。
いざ試験に臨んでは、この大学に入りたいと気持ち昂ぶって震えるほどに神経が張り詰めた。

動悸早まり脈乱れ時間の流れは遅々として何もかもが生々しいほどに鮮明であった。

苦しいようにもがきつつ一方で目が見開かれていた。
手に水道水つけても、子どものようにはいかなかったであろう。

そして試験開始。
いざ蓋開ければ試験に没入。
手応え十分、快心の出来。
あっと言う間に時間が過ぎた。

要は本気が発動していたのだった。
緊迫感を和らげてしまうより沸々とするに任せた方が馬力出るという場合だってあるのだろう。


いま大阪の市井を根城として日々平凡に働き平穏に暮らしている。

現在のわたしを形作る価値観、生活や仕事の基本スタイルといったものは大学時代のあれやこれやのなかに端を発し自らに備わっていったものであるように思う。

大学は、わたしの素がわたしへと組成されていった場所と言えるだろう。

今年のGWに家族で東京を訪れ、早朝に家内と散歩した。
神楽坂から早稲田通りを抜け、静まり返る朝の大学周辺を二人で歩いた。
家内に学生時代のエピソードをいろいろ話したのであったが、自分の生家を案内するような幸せな時間であった。

来月の上京もまた家内を伴う帰郷となる。

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