KORANIKATARU

子らに語る時々日記

作文のコツは全く違う話から始めること


自室の窓を開け放つ。
風がさらりとして気持ちいい。

季節が変わる微かな予兆を感じつつ飲むビールは格別だ。
二缶目を開けた時、二男が顔をのぞかせた。

明日提出の作文について助言を求められる。
書く主題は決めてあるが、あっという間に終わって枚数を満たさないのだという。

理系男子にありがちな話である。
一気に結論までまっしぐらとなれば余白が生じるのも無理はない。

作文は全く違う話から始めること。
これがコツである。

小さな解答欄を埋めるならいきなりシュートで事足りる。
が、広いピッチが舞台となればスペースを思う存分利用してまずは助走がてらパスをつなぐこと。
そして、加速をつけてゴール前に迫る。

駆け抜けるようにシュートを放ってそれが決まれば、かなりいい出来栄えの作文になること請け合いだ。


かつて長男にも同じようなアドバイスをしたことがあった。

奈良の遺跡を巡る遠足があってその作文を書かねばならない。
遺跡の話など書いてもすぐに終わってしまう。

関係ない話から始めればいいと話したところ、肩の力が抜けたのか、彼は友人の話から書き始めた。

班で行動するはずがその日、彼は仲間とはぐれ、探しまわってやっとのこと再会を果たせた。
友人の話から始まってその迷子の過程が描かれて、合間合間、遺跡についても触れられる。
焦燥混じりの心情のなか視野に入るからであろう地味で生気ないはずの遺跡が文のなか活き活き屹立するような存在感を帯びることとなった。

遺跡について真っ向詳説する友人らの作文にひけをとらない、臨場感あっていい出来栄えの作文に仕上がったように思う。


この日の帰途、2号線で信号待ちしているときのこと。

見るともなし前のクルマを眺めていて驚いた。
いきなり拳が飛んだのだ。

助手席から運転席に向け、冗談で頭を小突くといった感じではない。
アゴにストレートが、バシンと入った。

営業車によく使われる白のバンである。
助手席に座るのが営業の先輩格で、ハンドル握るのが後輩。
さしずめパンチは、愛のムチ、先輩が後輩に喝を入れたということなのだろう。

ちょうどそのとき、カーステレオからプリンセスプリセンスのMが流れ始めた。
いつも一緒にいたかった、となりで笑ってたかった。

それどころの騒ぎではない。
となりで笑えるわけがなく、いつも一緒になどいられるはずがない。
それだとほんとうにMになる。

閉じた世界で繰り広げられる暴力については外から窺い知ることは難しく、内にある人もそれに慣れるのか簡単には逃げ出さない。
日陰を根城に暴力は日常化し、限界に至るまで誰も気づかないということになる。

暴力といっても多種多様。
その道具箱には足蹴から鉄拳、暴言、罵倒、僻み繰り言、愚痴、黙殺、多岐にわたっての工具が横たわる。

そして、職場や家庭、教室など人の集うところ、まるで出物腫れ物のごとく所構わず暴力は棲息することになる。

もちろん日陰にあるから暴力の主客は容易には判別つかず、その程度もてんでばらばら。

新橋や淀屋橋の飲み客などは牙むくかみさんに戦々恐々とし、内職で針仕事する横丁の女房は一升瓶抱えたフーテン亭主の足音だけで卒倒し、塾から帰る小学生はガミガミ母さんに怯えきり、つり革につかまる勤め人は上司のやむことない嫌味に今日も悔し涙をこらえる。

見渡せば、あそこにもここにも暴力くすぶっているのかもしれない異変を嗅ぎとることができる。

うっかりすればいつなんどき暴力の風下に置かれるか知れたものではない。
対人関係、属する場、伴侶まで含めその選択においては細心の注意が不可欠と言えるだろう。


これもまた一見何の関係もない場面から始まる作文のようなものと言える。
ちょっと強引ではあるが新橋や淀屋橋の飲み客の心情を導くのに使う出だしは2号線の信号待ちだ。

二男に話す。

作文なんて全く関係のないような話で切り出して、あとはゴールに向け自由に書けばいいのである。