すべてがうまくいくとは限らない。
なにかしら問題が生じ、頭痛の種とまではいかずとも憂事の絶えることがない。
その昔、「ふぞろいの林檎たち」というドラマがあった。
登場人物みなが一筋縄ではいかない問題を抱えていた。
ドラマを通じ彼らの葛藤を目の当たりにすることは、当時中学生のわたしにとって有用な学びであった。
四十を過ぎてなお、重く染み込んだドラマのエッセンスがときおり蘇って、彼ら登場人物がまるで親しい友人であったかのように目に浮かぶ。
その意味で「ふぞろいの林檎たち」は、絵空事だけ詰め込んだ凡百のドラマとは一線を画す名作であったと言えるだろう。
なにがしか問題が降って湧き、否応なしそれに対峙しなければならないのが現実だ。
ドラマがそう教えるとおり、数々の課題が次から次へと湧いて出る。
仕事順調、体調万全であっても、どこかに死角はあって、一点の曇りもない状態というのが訪れることはない。
それに年齢を重ねれば重ねるほど当事者となる局面の数が増え、トラブル要因は激増していく。
目の前の問題ばかりに注意払ってモグラ叩きしていると、背後がお留守になって孤立無援、凶暴化したモグラが畑を荒らし作物を傷つけるということも起こり得る。
こんなとき、やはりどうやら持つべき者は友である。
自分で知覚できない盲点について、客観的な立ち位置から告げ知らせ信頼おける助言をくれるのは友人を措いて他にない。
習慣に呑み込まれてあまりに見慣れてしまうとそれが異変であることに当事者は全く気づけない。
ボクサーにセコンドが不可欠なようにわたしたちには必ず友人が必要なのである。
この土曜日、母校の大忘年会が催され、告知されると同時に参加費を銀行振込していたが参加を見送った。
ちょっと訳あって感情煮えて思考蒸し、とてもそんな気分にはなれなかった。
なにより小休止が必要だった。
それで会場には行かず、友人らの顔を思い浮かべながら事務所で作業し一人静かに過ごすことにしたのだった。
平日に奮闘しているので週末まで仕事に充てることはないのだが、探せばやることはいくらでもあって、なにより仕事していれば頭がクリアになって次第に心も落ち着いてくる。
課題睨めつけ自分の距離で対峙できるようになるためのツールが仕事でその場所が事務所。
そこがわたしにとって尊厳保って最強を維持できる本拠地のようなもの。
男子にとって命の次に大事なものと言えるだろう。