KORANIKATARU

子らに語る時々日記

いくらお金を積んでも手に入らない

試験を終えた長男と合流し灘浜までクルマを走らせる。

車内後部座席、彼は睡魔と押し問答を繰り広げている。
眠たい、でも寝ない。
寝てしまいそうだ、でも寝ない。

ひと休みすればいいではないかと声をかけるが、彼は言う。
眠ると筋肉が休息モードに入ってしまう。
そうなると使い物にならない。

集合時間ちょうど、睡魔に耐える彼を送り届けた。
気合振り絞ってグランドに向かう彼ではあったがよほど眠かったのだろう。
ラグビーに関係のないものすべて、財布やらiPhoneやらが後部座席に置かれたままになっていることにわたしはずっと後になってから気づくことになった。

いつもなら試合を観戦するのだがこの日はあきらめ退散することにした。
一週間以上ボールに触っていないほどの調整不足。
今日のところは勘弁して、正月に試合があるから観戦はそのときに。
彼にも面子がある。
たっての願いを聞き入れた。

グランドを後にする。
向かうは住吉本町の商店街。

師走の週末、空の青はどこまでも清涼で眼前そびえる六甲山の緑を鮮やかに際立たせている。
青と緑が綾なす風光明媚の懐に、瀟洒な住宅街が広がって品よくつつましい商店街が粛と調和し溶け込んでいる。
東京で言えば神楽坂といった趣きだろうか。

山口とうふで夕飯の食材を仕入れ、肉の名門マルヨネで出来たてホヤホヤのコロッケと豚まんを買って食べる。
ちょっと散歩するような時間を過ごし、風呂にでも行くことにした。

試合を見るつもりだったので時間を持て余していた。
ちょうど空いた時間のサイズに風呂がぴったりフィットする。

芦屋の水春を訪れたのは今回がはじめてのことだった。
澄み渡った芦屋の空を眺めての露天温泉の開放感は格別であり、ジャグジーも趣向に富み、漢方のミストも目新しい。

疲れも癒えて気分爽快。
非の打ち所のない時間を過ごせた。

だから当然初登場で一位。
わたしのなか、水春がお風呂番付の筆頭となった。

家に戻るが子らはまだであった。

まず最初。
部活を終えた二男が颯爽と戻ってきた。
徹夜明けで臨んだ部活を余裕綽々乗り切ったようだ。

引き続いては長男。
先輩に電車賃を借りたという。
疲れ切っているのかと思いきや、意外や意外、元気ハツラツとしている。
試合の余韻が残っているせいだろう。

子らの様子を眺めつつふと思う。

いくらお金を積んでも手に入らないものがある。
どれほどの富に囲まれたところで、この二人がいないのであれば無でありお金など何の役にも立たない。

この二人が、おとうちゃんただいまと帰ってくるのであれば、貧相な長屋暮らしであっても、そこには確かな幸がある。
お金を失ってもやり直せばいいだけの話であり屁でもないが、この二人を失えばひとかけらの幸どころかわたしの再起はあり得ない。

日常のあれやこれやにかまけすぎると枝葉末節にばかり目が行って根本を見失う。
自らが立脚する「桁外れ」の豊かさに思い当たれば、瑣末事などどうでもよくなり心整って清々しい。

そしてああなるほどと思い当たって、腑に落ちた。
周囲焚き付けるかのような虚飾の人があって、その全身から漂い出す生臭いような我執の気に辟易していたのだが、おそらくその内面は「端数」が無秩序散らかって焼け焦げたようになっているのだろう。

だから目に障ってやかましく、周囲の気分を害すことになる。
つつましいという在り方は豊かさから導き出される美徳であるが、「端数」だけだと材料不足ということなのかもしれない。

延焼のとばっちり受けぬよう、一顧だにせず我が道を行くのが賢明だろう。