長距離運転が連日続く。
運転の合間、テレビを眺める。
朝も昼も大阪の幼稚園が取り沙汰されている。
年端もいかない子どもたちが大人に言わされるがまま、ずいぶんとおませなことを口にしている。
意味など分からずただ一生懸命に唱和する姿に罪はなく、その無邪気がただただ可愛い。
うちの子らがそんな年頃であった時代のことをついつい思い出してしまう。
テレビに映る幼稚園の子どもたちが月であれば、我が家はスッポン。
キリリ行儀のいい立ち振舞いなどあり得ない二人であった。
お歌は調子外れで、お遊戯の動作はワンテンポ必ず遅れる。
第一、列に並ばない。
バカなのか、と何度思ったことだろう。
が、それでも我が子。
バカでも可愛いく、バカであればあるほど、更に可愛いというようなものであった。
十年も前の話だが、その頃も入園競争は熾烈であった。
申し込みの順番争いがあって前夜から列に並ばねばならず、並ぶだけでは済まず面接などの選考もあったはずである。
わたしは家内に任せきりであった。
賢く智く振る舞うなど土台無理という、揃いも揃って天然野生のアンポンタンであったはずだがなぜか兄が受かって、引き続き弟も受かった。
背後に控え見守った家内のおかげなのだろう。
しかし受かった後も不安は拭えなかった。
果たして長男は通えるのであろうか。
無理かもしれない。
そのように夫婦して真剣に前途を憂いた。
が、いつしか兄は弟の手をつなぎ、アンポンタンが左右に並んで揃って登園するようになった。
兄が卒園した後は、しばしば私が二男と手をつなぎ園まで送って、時折は出迎えた。
その当時、並んで歩けば必ず手をつないで歩いた。
長男の手も、二男の手も自然にわたしに伸びてきた。
いまではもう昔のことである。
分厚いガタイとなったいまも呆れるくらいにバカでそれだからなのかそれなり可愛いが、可愛いさがピークだったのは園児の時代であった。
アンポンタンの世話する家内はたいそう骨折りな日々であっただろうが、園児の頃の可愛さについては同意するに違いない。
園児の頃と言えば、まっさき目に浮かぶのは、お風呂である。
休みの日は子らを連れ風呂でひととき過ごした。
前に二男を乗せ後ろに長男を乗せ、薄明かりの路地をわっせわっせと自転車こいで、男子三人湯にカラダを横たえた。
もちろん風呂上がりにはコーヒー牛乳。
なんて幸せな時間だったのだろう。
おそらく彼らは、湯の光がキンキラ輝くそんな場面を覚えてない。
変な唱和とは全く無縁な幼少の頃、君たちは底抜けアンポンタンでそれがとても可愛らしかった。
その証拠、遠くない将来、瓜二つのアンポンタンをその目にするときが来るだろう。