KORANIKATARU

子らに語る時々日記

つながりを生む場所

帰宅すると長男の友人らが遊びに来ていた。
家内が腕をふるった夕飯も済んでリビングはくつろぎのなかにあった。

こうなれば、お風呂係であるわたしの出番であろう。
彼らを乗せ総勢5名で熊野の郷に向けクルマを走らせた。

先月二男の友人らを連れたときは烏ならぬ雀の行水、さしもの名湯も拍子抜けといった呆気なさであったが、高校生にもなると心得たものである。
機会を捉えその時間を味わおうとする落ち着きが中学生とは異なる。

どこの学校の女子が可愛いか。
そんな男子トークを繰り広げつつ、結局一時間以上も滞在することになった。

ちなみに、彼ら一致してのベストは神女ということだった。
さすがに抜きん出た伝統の名門。
見た目がよいだけにとどまらずひときわ聡明。

正しい答えを導き出すことにかけては校内屈指の彼らである。
異論差し挟む余地はない。

一夜明け、わたしはいち早く家を後にする。
彼らが横並びになって寝入るリビングを過ぎ、しみじみと思う。

家は家族が住んで過ごすため以外の役割をも担う。
このように長男の友人らが訪れああだこうだと一夜を過ごし、またあるときは二男の友人らがやってきて賑やか過ごす。

彼らのある時ある瞬間を取り結ぶ結節点として我が家がささやか機能していると思えば満更でもない。
子らに親しい友だちがあって嬉しく、更にそこに親として少しばかり介在できることがまた嬉しい。

自営業者となって以来よく考える。
自分にとっての「つながり」とは何なのか。

明日をも知れぬ身であって、自営業者など永遠に続く風前の灯のようなもの。
そうであるはずなのに、灯は消える気配すらなく煌々と光を放ち続けている。

あらゆる場面で不思議に出くわし、その度、灯の導線を辿っていって「つながり」に行き着く。
不思議の全貌については知る由もないが、その一端に「つながり」という要素があるのは確かなことである。

若い頃には分からなかった。
おれはおれ。
そんなたわけたことを思う不遜な世間知らずであった。

もっと早くから自分にとっての「つながり」とは何なのかについて意識的に考えそれを大事にするべきだった。
そう思うからこそ、子らには語る。

いまの日本を語るキーワードとして希薄化という語が挙げられるだろう。
世界のなか、日本ほど「つながり」が希薄化している国はない。

結束の欠如はそのまま弱さを晒すことになるのだが、絶妙のあんばいで、いまの日本は結束など考えずとも生きられて、身を寄せ合わずともしのげる微温的空気に満ちている。

もちろん依然として同郷のよしみがあるし親類縁者のつながりもある。
が、それら普遍的であったはずの身の置き所もだんだんと寒々しい様相になりつつあるというのが21世紀の日本の現実だろう。

とってつけたような、ふきつけの人間関係ならいくらでもある。
それらはつながりというには、か細く頼りない。
むしろ、むき出しのミニ世間といった様相で、実は仲間でも何でもなく、笑顔の陰で妬み僻みが行きつ戻りつし足を引っ張り合いし、ことが起これば真っ先に利害相反に陥るはかない関係に過ぎない場合が大半だろう。

つながりの生成は簡単なことではなく、つながりはそこらに落ちていたり、そこらから勝手に生え出てくるようなものではない。
いまからそう知っておくことである。

人類は結束し生き延びてきた。

その本質がこの先も変わることはないだろう。
未来はいつだって不測の事態に満ち満ちて、誰だって一人でなんか生きていけやしないからである。

人間関係が加速的に希薄化する日本社会にあって、学校というのは「つながり」を生む数少ない場の一つと言える。
その証拠、いま一緒に過ごす友人らとの交流は卒業したあとも絶えることなく、この先もずっと続いていく。

そんな人間関係を得られる場所が他にあるだろうか。

友だちを大切に、今日もまたいつもと同じ言葉で締め括ることになる。