KORANIKATARU

子らに語る時々日記

最高の友人に恵まれる学校

同窓会報の編集業務に伴い連絡事務を行っている。

寄稿文を求め様々なOBとやりとりし伝手を探すが随所で星光愛を感じ、あらためて痛感した。

 

大阪星光に通うと最高の友人に恵まれる。

よほどのひねくれ者でない限り、老いも若きも例外はない。

 

もちろん、どこでだって友人はできる。

しかし、生涯を通じての友人であり最高の友人となると、そう簡単に出会えるようなものではないだろう。

 

それが大阪星光では実に当たり前のようにそんな友人に恵まれるのであるからこれは特筆すべきことである。

 

中1で出会い、ついたり離れたりしつつやがて別々の道へと進む。

が、気心知れた友人の輪は崩れることなく強固さを増し中年になっても残存し老いても同様。

 

なぜこうも仲がいいのだろう。

 

全員が同じ入試をくぐり抜け、苦楽ともにしながら同じ場所に通って青春の六年を一緒に過ごす。

そしておりおり南部と黒姫で同じ釜の飯を食べ寝起きをともにする。

 

互い素の姿を知ることになり、飾っても仕方がなく、実像をさらけ出して過ごすうち、もはや他人ではない、といった風になるのも当然のように思える。

 

巷よくある嘘も平気でまかりとおるような、言葉ひとつで誰にでもなれるような、結局その人物が何なのか実は不明なままといった即席の人間関係とはほど遠い。

 

加えて大きいのが、「神さまの目」と言えるのはないだろうか。

 

ニヒルな無神論者であっても、アーメンと唱えることでまさかもしやと知らず知らず超越的な存在の視線を内面化するので、清廉潔白で高潔とまではいかずとも、多少なり良心というものが育まれてしまうことになり、なんだか善人、良い人となっていく。

 

良い心根が輪となるのだから、この繋がりは実に心強い。

 

この月末、二男は友人ら四人と宮崎を旅するという。

勉強も大事だが、このような旅をこそとことん奨励したい。

 

彼らが中年になって集まり宮崎談義に花を咲かせつつ各自の近況について情報を共有する様子が目に浮かぶ。

 

そんな横のつながりを得られることが、この学校の最大の特質なのだとかねてより知ってはいたが、同窓会報の編集に携わって他学年と交流し、縦にも繋がり得るその厚みを身をもって知ることになった。

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