列席は親族1名に限られていた。
家内ではなくわたしが卒業式の会場に赴いた。
思ったとおりほとんどの顔ぶれが母であり、父の参加者などちらほら見える程度だった。
6年前188名が入学し、高校から加わる者はなく176名がこの日の卒業式を迎えた。
厳かな祭式から始まって、送辞と答辞で式に変化が訪れた。
やはり主役は星光生。
特に答辞が素晴らしく、彼の言葉によって参加者の感情の蓋が自ずと開いた。
これまでの6年が各々の胸に去来しはじめ、想いが満ちて溢れるのは涙だった。
わたしは二男の後ろ姿を見つめ、仲の良かった友人らの背を見つめ、万感の思いで彼らの門出をことほいだ。
今後、彼らの結束はますます強まるに違いなく、在学中は疎遠であっても、66期のよしみ、意外な連帯がこの先いくつも組成されることだろう。
式の後、今年はコロナの影響で謝恩会は行われなかった。
そのかわり担任団の先生らが壇上にあがって、それぞれが挨拶の言葉を述べた。
誰もが涙で言葉を詰まらせ、そのたび、母らはすすり泣いた。
いまは若い教師らも30年後の同窓会で再会したときには初老といった域にあるだろう。
壇上の先生らを見ながらそうわたしは想像し、はたと気づいた。
そのときわたしは有りや無しや。
30年はあっと言う間で、そしてそのころわたしは風前の灯火。
が、息子は大阪星光に入った恩恵、その先の先まで良き伴走者らと共にある。
なんと喜ばしいことだろう。
彼らの前途を祝福し、式の後、わたしはひとり焼肉屋で感傷にひたって飲んで食べた。