KORANIKATARU

子らに語る時々日記

楽しいはずがないのに、楽しい

呆れて開いた口が塞がらない。
そんな話ばかりで埋め尽くされる日記である。
バカも休み休み言えというようなものだろうが一向に止む気配がなく始末に負えない。

ここ最近も無闇矢鱈と忙しい。
明けの明星を東の空に見つつ出勤し夜9時のニュースを見ながら家路につく。
毎日の予定こなすだけで精一杯という状況である。

それなのに一体なぜだろう。
時間の間隙を縫うようにして性懲りもなく今日も日記に向かって他愛ないことを書き残す。

まじかよ、そう肝冷やすような事態にこの日直面した。
次の打ち手を急ぎ講じねばならない。
切羽詰まり顔色失っても当然という状況である。

ところが、通りを歩いて一体何が嬉しいのか頬がゆるむ。

陽射しは強いが木陰をくぐるとき涼を感じた。
その涼のせいなのだろう。

滅入るどころか気持ちほぐれて立場も忘れ、いつしかこの夏二男がたどる行程が頭に浮かんでわたしはその世界に没入しはじめていた。

自分が行く訳でもないのになんだか楽しい。
不思議なものである。

窮地にあって楽しいはずがないのに、楽しい。

我が身がどこに置かれていようが子の笑顔を思えばそれで十分。
子を持ってこそ体感できる福々しい矛盾と言えるだろう。

ふと祖母の姿が頭に浮かぶ。
嵩ある荷を背負って遠い田舎町を行商するのが祖母の日常であり老いてもやめることはなかった。
わたしの原風景にある祖母の姿はいまも褪せない。

子らに祖母の魂のようなものを少しでも伝えることができれば、子らはアホな大人になることはないだろうし、それでわたしは大任を果たせたことになる。

なんのこれしき。

まもなく次の打ち手のアイデアがどこからともなく舞い降りてきた。
どうやらいいアイデアはえびす顔を選んで着地するようである。