なんでも時給換算するのは野暮である。
仕事でなら単価を求め意思決定の指標にする、そんなシーンも生じ得るだろうが、言うまでもなく日々の暮らしすべてが仕事に染め抜かれている訳ではない。
だから日常の一コマにおいてさえ、時給ロジックで思考する人があるとすれば偏執もほどほどにという話だろう。
たとえば一緒に過ごしていて、その相手が時計を見てそこに失われた金銭を見ているとしたら、こんな切ないことはない。
今日は遠出の日。
電車での移動であったが、移動中は文字通りフリーの時間。
束の間、仕事から解き放たれる。
ぼんやり窓外を眺めて過ごして、それでお金が入ってくるような値打ちはわたしにない。
つまり、仕事を離れれば時給という概念とは全く無縁であり、当然にタダ。
基本はタダで全部タダ、ということである。
なんでもかんでも手当たり次第、お金に換算して考えることは、とてもさもしくもの悲しい。
おおらかにいこう。