西宮での業務を終えクルマで駅まで送ってもらった。
そこでいったん家内とわかれわたしは天六の福効医院に向かった。
JR天満駅で降り天神橋商店街を北へと進む。
あたり一帯に名店ひしめき、天六界隈は食い道楽大阪のなかでも別格の存在と言えるだろう。
日が暮れると時を追うごと、賑わいは増すばかりとなる。
商店街の終点で右手に進めばすぐに朝日生命ビルが見えてくる。
エレベーターで三階にあがる。
福効医院では終業後のミーティングが行われていた。
その様子を遠目に見るが、患者さんお一人お一人について各スタッフ間でしっかりと情報共有が行われているようだった。
ミーティングは真剣そのもの。
商店街で見かけた、立ち話をした、元気そうだった、など患者さんの院外での様子についてもスタッフから報告が寄せられる。
なるほど、家族のようにあなたを診ます。
福効医院の理念は隅々まで行き渡っている。
そう実感する場面であった。
着替えを終えた天六のいんちょの運転で京橋に向かう。
今夜は注意を要する患者さんがいていつ連絡が来るか分からない。
だからお酒は控えるということだった。
わたしは助手席。
天六のいんちょの駆け出し時代について話を聞きながら、車窓に映る曽根崎通りの景色を眺めた。
午後6時半、すし処広川のカウンターの隅っこにわたしたちは腰掛けた。
天六のいんちょはペリエ。
わたしはビール。
それで乾杯。
わたしたちが星光の話をしているとカウンター伝いで、吉田さん、新井さんをご存知ですかといった声が届いた。
20期吉田さん、26期新井さんと言えば、星光同窓会を組織化し本格稼働させた中心人物中の中心人物である。
知らぬはずがない。
そして世間というのはなんて狭いのだろう。
続いてはソウの話題が降って湧き、シブの話になりそこから数珠つながりで大阪星光と四天王寺の30年前の交友関係などが語られた。
十代や二十代であれば身を乗り出して関心示すような話であったのかもしれない。
しかしもはや五十手前。
人生はいろいろで、そのようなことをはるか後方にやり過ごした地点にわたしたちはあった。
わたしと天六のいんちょは、親のことを話し、子のことを話し、そして仕事のことを話し、寿司をつまんだ。
気づけば時刻は9時になろうとしていた。
2時間半、広川の寿司をたっぷりと堪能できた。
一月の飲み会はここにしようと店主に予約を申し出るが、二ヶ月前からしか受け付けないという。
一月に席を確保するのであれば十一月を待たねばならないということになる。
そのうち予約しここで集合しよう。
他にも候補は幾つかあるのであちこち巡り、来年どこかのタイミングで京橋に集合ということになるだろう。