おいしい蕎麦屋がある。
そういって事業主に連れられたのが、讃州だった。
店は地下鉄あびこ駅から徒歩3分、イズミヤの真ん前にあった。
下町に欠かせない。
そんな風情をまとう、ほどよく枯れた面構えの店である。
天ざるとおにぎり。
事業主がそう注文したので、わたしも同じものを頼んだ。
揚げたてで芳しい香を放つ天ぷら、趣き深い含蓄を寡黙に漂わせる濃褐色のつゆ、その湖面に浮かぶのは端正なほどにまん丸のうずら、銀の光沢たたえるふっくらピカピカのシャリでおにぎりは構成されて、その横には厚みあって鮮やか輝く沢庵が佇み、刻み海苔をてっぺんにいただく蕎麦がピチピチ弾んで見えてみずみずしい。
聞いたとおり、見たとおり、やはりほんとうに美味しくて、この味は一口目で舌と脳に刻まれた。
今後ことあるごとに訪れることになる。
そう一瞬で決まったようなものだった。
江戸堀に喜作という定食屋がある。
蕎麦の出汁が美味しくて一時期はまった。
土曜日にクルマを走らせ食べに出かけたこともあり、例のごとく家内を連れたこともあった。
その味を彷彿とさせた。
壁面に記されたメニューの数だけ楽しみが増えたようなものである。
少しずつ時間をかけて制覇しようと思う。
この日、業務の最終地点は六甲道だった。
久々、灘温泉につかった。
夕刻を過ぎ、六甲から吹く風は冷たさを増し、まもなく冬と実感できた。
湯上がりの爽快にひたりつつ帰途についた。
電車に揺られていると定期考査が終わったばかりの二男からメールが届いた。
夕飯に焼鳥をリクエストする連絡だった。
寄り道して鳥芳で焼鳥を調達した。
一度では食べきれない分量を手に携えるが今夜食べきれずとも明日の朝食べて美味しい。
それくらい新鮮。
焼鳥を買うのだとすればこの店以外には考えられない。
家内とビールで乾杯し夕飯。
午後に来客があった。
二男の学校の役員ママらを家に招待し料理を振る舞ったのだという。
道理で家がピカピカなわけである。
出会うママ友の感性や価値観に違和感がない。
だからだろう、子らを通じ家内の友も増えていき、良好な関係が長く続くことになる。
素晴らしいことだと思う。