KORANIKATARU

子らに語る時々日記

いたって地味で静かな正月

朝9時に出発し実家で両親をピックアップした。

二日は新春恒例の墓参りの日である。


風はひんやり冷たいが、空晴れ渡り陽射しは暖か。

あたり一帯の墓全てに色とりどりの花が添えられ、青空に映えて鮮やか壮観。


朝10時で既に人出多く、手を合わせたり、線香をあげたりする姿があちこちにあって賑わって見えた。


次第、立ち並ぶ墓標のそれぞれがひとつのインデックス、書物の背表紙のようなものに思えてきた。

紐解けば、飛び出す絵本さながらそこに一大絵巻が立ち現れる。


人という存在は時間のなか生成される一種の物語であり、終わった後もそれは必要とされ読み返される。

それによってはじめて物語の続きが確かなものとして紡がれる。


墓参りの本質はそういったことであるのかもしれない。


そんなことを考えつつひとときを過ごした後、実家に両親を送り届け、その足で八尾にある家内の実家に向かった。


毎年二日に新年の挨拶のため訪れる。

元旦の翌日、家は静まり返り義父母にはほんのすこし疲れの色が見えた。


お酒は遠慮し、ありあわせのものにだけ箸をつけ、半時ほどで場を辞した。


お酒なら家で家内と二人で飲めばいいのであるし、食べるものも自分で買うなり家内が作れば済む話である。


親には何も心配させず楽をしてもらいたい。

他所者でもある立場としてそう気遣えば年に一度の訪問であれ無神経にも長居するのは迷惑以外の何ものでもない。

礼節をもって手短かに、が心得るべきエチケットと言えるだろう。


家内を家まで送ってわたしはそのままジムに向かった。

元旦の食べ過ぎ分を帳消しにしなければならなかった。


運動して英気満ちた帰途、ついでにガソリンを満タンにし灯油のポリタンクも3つ満たした。

家内からリクエストあったシュワシュワのスパークリングを買い求め、つまみとする生ハムやチーズも携え家内が待つ家に戻った。


夫婦で映画『フジコ・ヘミングの時間』を観つつちびりちびり晩酌。

いたって地味に静かに過ごす正月が引き続く。

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2019年1月2日13:46 東京新宿 左が二男で右が従兄弟