今思えば、若気の時代は暗黒だった。
明るく楽しく振る舞ってはいたものの内実とは裏腹。
考えることも現実に噛み合わない空虚な内容が多かった。
つまり、コンプレックスの塊であってノイローゼ。
精神科で診てもらえば何か病名がついたのではないだろうか。
当時は気づかなかったが振り返ってみて、その痛々しさが明瞭に理解できる。
そもそも無力な若造が根から明るくなれる訳がなく、無力な若造に生き甲斐なぞ高嶺の花。
無力を前に空転し、ただただ漂泊しているも同然であるから、発電はゼロ。
そこに光が生まれるはずもなかった。
だから、カラを取り繕う小道具が必要となって、高価な服や時計を身につけたり髪型を気にしたりなどしたのだった。
だがしかし、暗黒が何をまとっても散髪しても、変わり映えすることはなく、現状打破のための屁のツッパリにさえならなかった。
小道具が何の有効打にもならない。
そうと気づかず、一体どれだけ無駄な出費を重ねたことだろう。
そして長きにわたり中身がないと、自らその空疎に他人の視線という虚妄をたっぷりと引き寄せることになる。
それで更にますます自分というものを失っていくのであるから、これをこそまさに悪循環というのだろう。
治癒は結婚を機に訪れた。
ようやく地に足ついて、助かった。
貧乏であったから文字どおり裸一貫の等身大。
現実と正面から向き合い、真面目に努力する必要に迫られた。
次第、外野のことなどどうでもよくなっていった。
そのうちあっという間、仕事に恵まれ、いつしか、心のうちには料理上手な女房がいて、わんぱくな息子二人がしっかり根づいていった。
そしてそうなってはじめて一生懸命生きた父母や祖父母への尊敬も念も強く湧いて出た。
それらがいまわたしの小さな誇りの一部を成している。
どこからどう見てもちっぽけな人生であるが内には小さいながらも確かな光が灯っている。
それが生き甲斐。
だから当然もう身なりなど気にならない。
そのようなもので自らを証す必要がまったくないから、この無頓着さこそ健全、そう思える。
生きる理由のことを信仰というなら、わたしにとっては家族がそれにあたると言えるだろう。