金曜の夜だから、たこやで中トロなど刺身の盛り合わせを買い、ついでに息子の夜食として鳥清で骨付きもも肉を買い、十一屋でスパークリングを買って帰宅した。
家内はわたしからの中トロ獲得の報を受け、ガーデンズまでクルマを飛ばし沢庵を買い求めた。
そうとは知らず、わたしも帰りにコープで沢庵をゲットしたので、この夜のトロたく手巻きには沢庵がふんだんに使われることになった。
わたしの分と家内の分の手巻きを家内が交互に作り、わたしはお酒をそぞれぞれのグラスに注いだ。
たまにこうして美味にひたって夫婦で飲むのもなかなかいい。
食後、家内は英語のレッスンに臨んだ。
この日はデリー在住のインド人ジャーナリストが講師だった。
どういう流れかインスタの話になって、インドにも盛って盛って盛りまくる「フェイク・ピープル」がたくさんいると家内は教えられた。
そんな話を小耳に挟んで思う。
映像技術が進歩してリアルかCGか判別つかず、画像の加工技術も同様に進歩したから実物なのか加工後なのか判別つかない。
映像以前に手術によって改良されている場合もあるから、ますますリアルが物珍しいものとなっていく。
そのようにしてフェイクに慣れて、フェイクのひとつやふたつは当たり前といった感覚が日常のものとなった。
人間の動作は、「掴む」「運ぶ」「保つ」など18種類の動作に分類でき、その基本動作をサーブリックという。
いまそこに「盛る」という動作が市民権を得て仲間入りしたと見るべきなのだろう。