せっせと支度し土曜日の朝一番、家内は子らに食糧を発送した。
たっぷりと牛肉が入っていて、ちょっと手を加えた魚介類も投入された。
子らは大いに喜ぶことだろう。
好きになって結婚したとき、その後のことや生まれてくる子についてなど考えることはなかった。
幸い、そこらほっつき歩くことはなく、かといって家に閉じ籠もるということもなく、バランスよく社交し家事も万端。
家内は子育てに全力投球し、子らは揃って強く明るく元気に育った。
今の時代なら、惚れた腫れたという以前、先を見越して遺伝といった要素を検分してから結論を出すのかもしれない。
すべてが遺伝とまでは言えないにせよ、ノギスで言えば主尺が遺伝で、環境など後天的な要素は副尺程度の寄与しかない。
遺伝について聞けば聞くほどそのように思えてくる。
だから結婚に際しては、目に映る当の本人のありのままを見るだけではなく、一歩踏み込んで健康状態や精神的な気質、得意な科目や不出来な科目、スポーツ歴などの情報を得て、加えて非認知的な資質などについても探りつつ判断するといったことになり、そうなれば、相手の家族のなかに病弱の者がいたり気鬱な者がいたり不良がいたりはしないかということも意思決定の材料として省略できないということになる。
見逃せば、生まれてくる子の十字架となりかねず不憫。
デートの際、互いがそんな情報を探り合い、まったく思いがけない要素でけっちんを食らうということが起こり得る。
子らはいつかそのように検分されるのかもしれない。
そうなると、わたしが最大のネガティブ要素となるだろう。
怠惰で気分屋、不細工不格好で堪え性なく運動神経もない。
子の縁談の障害になるとしたら、わたし。
その失点を家内が補う。
テニスやスキーを余技としてこなし、体育会のゴルフ部で鳴らした。
当時、大阪最難関だった女子高を出て大学では英語を鍛えた。
真面目勤勉で料理が上手で、明るく朗らか。
そこまで考えて、事の全貌について理解が及んだ。
相補うというよりも単に補われた。
わたしにとっては、遺伝子ロンダリング。
この結婚でわたしが一方的に得をした。
息子らも結局は似たような惚れた腫れたを経るのだろう。
わたしのことは棚に上げ、けっちん食らわぬことを祈るばかりといった心境になる。