力を合わせて作業する必要があったので事務所に出た。
会議テーブルを作業場に各自の業務が進むたびにチェックを入れ指示を出し途中弁当を食べ夕刻前、無事目標の行程を終えることができた。
新しく導入したシステムも有効に機能し、今月が初回となるお客さんの業務も完成度高い出来栄えで仕上がった。
そしてなによりライブで協働しチームが噛み合い、その力が一段と増した。
事務所を先に引き上げ、仕事後の余韻にひたりつつ立花の正宗屋のカウンターに腰掛けた。
ずっと一人でいることは好ましいことではない。
ビールを飲みつつそう思った。
ここしばらく一人で家にこもって仕事し、まもなく症状を自覚した。
一言にすれば、「気が乗らない」となるだろうか。
朝の目覚めのときから張り合いなく、課題をこなしても喜びが生じない。
こんな状態が続けば早晩「何のために生きているのだろう」と自らに問うことになりかねない。
症状は漠然とした不安となって、心の隅に居座った。
このまま根を生やし増殖すれば、気が乗らないといった軽い話では済まなくなる。
家に女房がいれば必ず会話が生じる。
何を話そうか。
どんな話が聞けるだろう。
実は会話を通じやりとりされるのは、未来への期待感のようなものであって、それがあるからこそ、日常が生き生きとしたものになる。
この日、事務所でわいわい会話をしながら仕事し、久々、心の内が活気づいた。
それで気づいたのだった。
植物に例えれば、顔を合わせるのが光で、会話が水。
なければ、枯れる。
遮断されてはじめてその重要に気づく好例と言えるだろう。