ここ最近ずっと始発で出勤している。
朝の車内に老いた女性が多いことは以前から目に留まっていた。
このところ、南アジア系の若い女性グループも目立つ。
乗り継ぎの時間が迫っているのだろう。
大阪駅に着くと、先を争うかのよう皆一斉に急ぎ足で階段を駆けおりていく。
皆の硬い表情と急いた様子に、職場の管理の厳しさが窺える。
外はまだ暗く、世の大半の人はまだ寝入っている。
そんな時刻に、老いても仕事に追われ、遠い異国にあっても仕事に追われ、といった背を見ながら決まって思う。
どうにか彼女らに楽をさせてあげることはできないものだろうか。
日々楽をして楽しんでいるような女性の面々が頭に浮かび、その差の大きさに少しばかり沈鬱な思いとなる。
が、何事も定めという結論にしか至らない。
彼女らも毎日頑張っている。
だからわたしも頑張ろう。
頑張れ、という文脈で語ったところで的外れなことは重々承知しつつも、そう思うくらいのことしかできない。
そして、日が昇り仕事に埋没しているうち、未明に目にした数々の背のことは忘却の彼方へと消え去っていく。
この日、長男の友人が家に泊まりにきていた。
夕刻に帰宅し彼らのため寿司の出前を頼んだ。
待つこと小一時間。
バイクに乗って寿司を運んできたのが初老の女性だったから驚いた。
外はすでに真っ暗であったがずいぶんと草臥れた格好をしているのが見て取れた。
出前を呼んで寄越した張本人ではあったものの、親みたいな歳の女性に労を取らせたことを思い、少しばかり気が咎めた。
需要があって仕事が生まれ、仕事があるから暮らしが成り立つ。
そんな当たり前の理屈を分かったうえで、やはり思う。
どうにか彼女らに楽をさせてあげることはできないものだろうか。