明石へと向かう昼の快速はがら空きだった。
普段なら俊敏に動かねば席にありつけない。
この日は、ほぼすべてが空席。
愚鈍に動いても好き放題に席を確保できた。
業務を終え夕刻。
ぶらり明石公園を歩いた。
その昔、家族でしばしば訪れた。
際限なく走り回る息子らが景色のなかに浮かび、一緒に遊ぶ家内の姿がそこに重なっていった。
直射を浴びれば火照るほどの陽気であったが、緑陰を求めて歩けば夕涼みに格好の散策コースと言えた。
仕事後のちょっとした空き時間。
余白に好きに書き込めるといった自由時間が何ものにも代え難い。
任務を終えた充実感と不離一体となってしみじみとした喜びをもたらしてくれる。
明石公園の至るところに思い出が詰まっている。
あの当時、ここは確かにわたしたち家族の場所だった。
家内を誘ってまたこようと思った。
子らは明石の寿司には関心を持っても、もう公園には興味を示さないだろう。
ここに深い感慨を覚える相棒は、家内以外に存在しない。
行きと同様、帰りも電車は空っぽだった。
事務所に戻って残務を片づけ遅い時間となったのでコンビニ弁当でひとり食事を済ませてから帰途についた。
家では『愛の不時着』。
続きを家内と観始めた。
翌朝も早いので少し眺めて寝るつもりが、じっくりと観ることになった。
感情をほどよく揉みほぐされるといった感じと言えるだろうか。
手技が見事で身を任せてしまって、もう離れられない。
時に手に汗握る場面も、イタキモといったような話であるからそれはそれでヤミツキになる。
いともたやすく引き込まれ、製作者の思うがまま。
時が経つのも忘れ、楽しんで癒やされるから娯楽としては至高の部類に属するが、その一方で、観てる間は惚けたように従順で無思考に留め置かれ壮年男子が興じすぎると再起不能となりかねない。
画面の向こう側の世界で満たされてしまっては、もはや自身のドラマに舞い戻ってそこで獅子奮迅という訳にはいかなくなるだろう。
大昔で言えば一世を風靡した『愛のソナタ』。
最近なら『被告人』と『SKYキャッスル』。
そしていま『愛の不時着』。
夫婦ですっかり夢中になっている。
韓流ドマラには打つ手なしいうしかない。