寂しいはずはない。
頭でそう思っているだけで、内にわき出て影を落とす心情は、寂しさ以外の何物でもないだろう。
息子が卒業旅行に出かけて4日目。
食事を作る必要はなく早起きも不要。
一気に家事から解放されて自由を満喫。
鼻歌でも漏れ出るくらいに楽しいはずが、元気が出ない。
自身の顔を直接見ることができないように、どうやら自身の胸の内も直に覗き見ることはできないようだ。
頭と心に表れ出る反応が別々。
用事はなくて楽だが、しんとした空気が心もとない。
その別々が合成されて生まれるのは、困惑に他ならなかった。
家内にとって息子が時の流れを形成していた。
息子が起きる時間、食事する時間、帰ってくる時間。
それらが目鼻口といったように一日の表情を形成していた。
だから息子が不在になると、時はたちまちのっぺらぼうに変貌し、それを映して心は空っぽ、空虚が巣食う。
鼻歌など出るはずもないだろう。
が、何事も慣れ。
しばらくの移行期を経て、そのうち次の秩序が姿を現す。
そのとき、更に強く逞しくなった元気が家内の元に戻ってくる。