KORANIKATARU

子らに語る時々日記

余技や余力は親の目を盗んでこそ育まれる

四角四面で堅苦しい男であるよりも多少なり遊びの部分もあった方がいい。

悪く言えばテキトー、良く言えば融通無碍ということになるだろうか。

 

行く道はおおむね熾烈で長丁場となる。

だからサバイバルするには余裕が欠かせない。

 

先日、隣家の奥さんに聞かされた。

 

わたしたちに内緒で二男がたまに隣家を訪れていた。

隣家には巨大な書架がある。

我が物顔でソファに陣取り、隣家の蔵書を読み漁って過ごすことが幾度もあったのだという。

 

塾の自習室で勉強すると言って家を出て、悠然と真隣の家で読書に耽っていたのだから大した度胸である。

男親目線で素直にそう思う。

 

だから親として安心。

この先どんな難所に直面しても飄々と彼は切り抜けるに違いない。

 

もちろん長男もその才にかけて一歩も引けを取らない。

 

何年も前のこと。

塾で自習すると言って帰りが遅く、様子を見に行ったことがあった。

道中、駅の広場にたむろする集団があってチラと覗いて目を疑った。

 

若きラッパーの集まりのなか、中央で猛り立っていたのが息子だったから仰天するのも当然だった。

が、驚いたのも束の間、わたしは一気に引き込まれた。

 

溢れ出す怪気炎に凄味があって、ほとばしる言葉の迫力に惚れ惚れとしてしまった。

こいつは凄い。

息子を誇らしく思った。

 

わたしと目が合っても一切動じることなかった息子と一緒に帰りながら、話を聞いた。

勉強の帰りに気が向けばたまに顔を出すのだという。

ほどほどにな、とだけわたしは言った。

 

余技や余力は親の目を盗んでこそ育まれる。

この先の長丁場、引き出しのなかの思わぬ小物が決勝点を決めるということもあるだろう。

 

そういう意味で油を売るのも先行投資。

鷹揚に構えて目をつぶる。

親にも余裕が必要ということだろう。

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2021年3月26日夜 阿倍野正宗屋

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