実家を訪れたその足で、馴染みの寿司屋に立ち寄った。
シャッターが下り、そこには緊急事態宣言中は休業との貼り紙があった。
たまに待ち合わせてここで一緒に昼を食べた。
チャリンコに乗ってやってきてチャリンコで立ち去る姿が、今もありありと目に浮かぶ。
いつでも会える。
そう高を括っていた。
しかし、もう二度と会うことはできない。
厳然としたその事実を思うと、やはり悔いが残って仕方がない。
別れに際し、ちゃんと感謝の気持ちを伝え、ありがとうと言ってその手をしっかりと握りたかった。
五月も終盤だというのに肌寒い。
駅へと引き返す途上、じゃあまたと手を振って別れたときの記憶が幾つも呼び起こされ、ふと思った。
もしかして、いつか遠い先。
向こうでまた会えるのかもしれない。
見慣れた笑顔がそこにあり、胸に募った想いをありったけ伝える。
そんな場面を思い描くと救われるような気持ちになるが、もう一人の自分が「そんなことは起こり得ない」と頭の中で水を差し、現実に引き戻される。
振り返れば、どの機会もすべてが奇跡のようなものと言えた。
今となっては切に望んでも叶わないことが過去においてはありふれた日常であり、だから、その得難さに思い至ることができなかっただけのことであった。
一期一会。
一歩出遅れ、その言葉の切実を噛み締めることになった。