昼に食べ過ぎた。
夕刻、武庫川を走り、夜の食事は抜いて前夜に続いてノンアルで過ごした。
この日、コンビニでブルーノ・マーズのチケットを受け取っていたので、ノンアルを飲みつつ家内にそれを手渡した。
家内は早速、京セラでの席位置を確かめ、ステージの結構間近だったので大いに喜んだ。
二男もコンサートのために戻ってくる。
ヨドバシでオペラグラスを買うと家内は大いに張り切り、笑顔満面となった。
楽しみがあってこその人生。
そう思った。
前の公園に金木犀が植えられていて、冷気とともに窓からその香りが入り込み、コンサートに備え合唱の練習に余念のない家内の歌声が階下から聞こえてくる。
その平穏のなか三階の部屋でわたしは寝転がって読書に勤しみつつ、いつしか寝入った。
夢のなか、時は大晦日で家内とともに街で遊び、夜も遅いので帰ろうとクルマに乗るが、助手席に座る家内が言った。
年が明ければ遠いところに帰らなくてはならない。
だから、もっと遊ぼう。
目が覚めて思う。
おとぎ話の設定のような、いい歳をしてえらく子どもじみた内容の夢ではあったが、ある種の本質を突いていて、「遠いところに帰る」ことについて、わたしは反芻して考えることになった。
わたしたちはこのさき何十年も連れ添うだろう。
が、いつか順々に遠いところへ行くことは避けられない。
そんなことは考えたくもないが、この時間がいつかその時間へと呑み込まれていくことだけは厳然な事実として心得ておかねばならない。
だから一緒に遊べるうちに、思う存分遊ぶ。
「その時間」が到来した時のことを思えば、それが必ず正しいことだと今から確信できる。
さてこの日曜は何をして遊ぼうか。
助手席に座る家内の案に従うことになる。