KORANIKATARU

子らに語る時々日記

玉手箱とは無縁な暮らし

早朝から起き出し、仕事の仕上げにかかった。


分量はワード文書でびっしり30枚。

すでに考察を経て要点の記載までは終わっていたが納品するには念入りな校正が欠かせず、これにはかなり骨が折れた。


若い頃に比べれば現在は閑職に置かれているも同然と言えるが、年に数回、ハードな業務のお鉢が回る。


重いがやり終えて爽快。

まだまだできるという手応えにひたって、午後半ばには自由の身となった。


こんなとき、以前なら祝杯と決め込んだことだろう。


ひとりで飲んで気分良く、しかし、そのうち酔って意識朦朧。

ふわふわと過ごして気づけば朝、といった流れに身を任せたはずである。


が、いまお酒を飲まない。

母が救急車で運ばれその3日後にはお酒を絶ったから、完全遮断し今日で37日目ということになる。


お酒はある種の玉手箱と言えて、飲めば飲むほど時間が早回しになる。

そんな時間感覚に慣れた身からすると、お酒が入らないと一日が二回あるようなものと感じる。


一日の後半にたっぷり自由な時間が残されて、意識も明瞭に過ごすことができる。

本のページを繰ったりドラマを楽しんだり、そして後で記憶がおぼつかないといったことがない。


そんな時間がいまとても大切なものに思える。


自由な時間を愛おしみ韓流ドラマを見ているとまもなく夕刻、奈良へと出かけていた家内が戻った。


この日はドミの診察を受け、とてもよくしてもらったようで、これでまた星光生の株が上がった。


奈良の道の駅で買ってきたという食材で家内が料理を作りわたしは手伝い、二人で食べた。


それでもまだたっぷり時間が残されていて、頭も明晰。

迷うことなくわたしは仕事に着手した。


やはり、言ったとおり。

一日が二回ある。


竜宮城の玉手箱を突き返したら時間が増えた。

これはやはりいいことであるに違いない。

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