朝9時を過ぎ、じりじりと暑さが増していった。
が、青い空を背景に浮かぶ真白な雲のふんわり感が愛らしく、なみなみと満ちて流れる清流が目に清涼で、かつ青々と茂った樹々が日差しを受けて嬉々と輝き、そんなビジュアルに四方を囲まれるから気持ちがいい。
走りながら、ビリー・ジョエルやスティングやシカゴなど懐かしの洋楽を耳に流した。
学生時代の思い出が湧いて出て、若々しいそれら光景と相まって陶然となった。
ほぼすべての思い出が柔らかに咀嚼できるが、時折、小骨が混ざる。
迷いのなかにあって身の入らぬまま過ごした青く苦い時期だった。
そんな一面も否定できない。
しかし、大阪で過ごしていれば身につかなった何かが蓄積された。
そう確かに感じることができるから差し引きプラス。
わたしの東京での暮らしはそう総括できるだろう。
意図して導いた訳ではないが、二人の息子も物心ついた頃から東京行きを当然のことのように前提とした。
キャンパスライフは大阪での日常の延長線上にあるより、異なる地でひとりで暮らし、そこでゼロから居場所をこしらえる。
その方が学びは多いだろう。
そして大阪を後にし行って暮らすなら、すべてが集積する東京をおいて他にない。
そう考え父として賛成した。
彼らの関心領域は文系だった。
だから、選ぶとすれば東大か早慶。
その選択肢のなかまあ無事に引っ掛かって、彼らはいま東京で各々一人で暮らす。
コロナ禍という逆風下ではあっても当初の目論見どおり、濃密な日々、つまり、否応なく成長を促される毎日を過ごしているようだ。
わたしは不甲斐なく無為の迷宮をさまよってしまったが、彼らはわたしの前轍は踏まず確かな足取りでしっかり前を向いている。
折々伝えられる近況からそう知ることができる。
海に近づくに連れ緑陰は影を潜め、日差しが全方面から強く降り注ぐようになった。
走る人影もまばら。
そこで引き返そうとUターンしたとき、野鳥の群れが川べりから一斉に飛び立ち青い空に散って、その壮観に思わず見惚れた。
相変わらず汗が噴き出し続け、侮れば危険と背中合わせという状況であった。
そこでへばって、膝に手をついた。
このとき曲がサバイバーのアイ・オブ・ザ・タイガーになった。
あとは息子たちが快走する。
アイ・オブ・ザ・タイガーは彼らに託そう。
そう思って後は盛夏の武庫川をのんびり歩いてたまに走った。