KORANIKATARU

子らに語る時々日記

憧れが蝶よ花よとネット空間を舞う

ホテルのロビーでオバサンたちが写真を撮り合っている。

何か催しがあったのだろう。
みな美しく着飾っている。

それぞれ交互に被写体となるが慣れた様子だ。
堂に入った構えと作り笑顔からそう窺える。

おそらくこのあと各者各様、SNSに写真をアップするのだろう。
ブログやインスタグラムやフェイスブックやツイッターやラインなどを通じて、写真が方々に発信されていく。

そして、数は異なれど各者各様にいいねとの呼応を受ける。

SNSでは誰もが一人で舞台に立てる。
水を得た魚とはまさにこのようなことを言うのだろう。

かつては一人目立って前に出るなど考えられることではなかった。
なにしろ奥ゆかしさが美徳となる国である。

しかし、カラオケでマイクを握ったときみたいに、一度歌えば、やめられない止まらない。
これこそ自己実現、夢にまで見た女子念願のリサイタルステージ。

名付けるとすれば、ミテミテオバサンとでもなるだろうか。

ミテミテギャルについては、人類普遍の現象。
自分比率の濃度が最高潮となる若き頃、ミテミテとなるのは、まあ当たり前のことである。

世の荒波かいくぐるうち自分比率が低減し、ミテミテ願望は影を潜めていくのが通常であるが、舞台があるなら話は異なる。
全盛時の血が騒ぐといったようなものであろう。

サナギが孵化するみたいにミテミテギャルがミテミテオバサンとなって羽ばたくことになる。

かつてはテレビの中にスタンダードがあった。
それがいまやネットに移行して久しい。

羨望に値するお手本はネットにこそ存在する。

ミテミテオバサンの面目躍如。
小金もあって時間もある。

服飾、グルメ、お受験、旅行、マイホーム、家具、クルマ、パーティー、優雅な暮らし、エトセトラエトセトラ。
様々な有り様が写真となってアップされることになる。

見映えさえ整えばそれで十分。
芸や技能や学識や実用に用はないから、言葉は極小であった方がよく、むしろ無用の長物となって邪魔となる。

翳りゆく、日本。
ここだけ明るくぱっと華やいでいる。
消費のバトンはバブルの落とし子らがしかと受け止めた。

次代の経済を牽引するのはミテミテオバサン、そしてその周辺の者らと言って間違いないであろう。

蝶の羽根から鱗粉が舞って広がるように、憧れがネット空間を媒介に行き渡っていく。
そして小さな泉が湧くみたいに、多くの女子らの胸に漠とした欲望のようなものが生じ始める。

テレビに出るような女優らがする大車輪の役割は果てせなくても、ミテミテオバサンらは各自の持ち場で小さな車輪として経済を回すのに貢献しているということになる。

時代のブラインドサイドから大挙出現したミテミテオバサン。
明日の日本のため。
それら前線へのロジスティックを担う裏方男子達には、より一層の奮闘を期待したい。