その昔、何を思って過ごしていたのか。
たまには振り返ってみるべきだろう。
そうしないと「今」の値打ちを取り損なう。
勤め人時代は居場所が決められ、時間がくるまでそこに居続ける必要があった。
今は思いのまま外をほっつき歩くことができる。
歓喜すべきことである。
自営業者となったばかりの駆け出しの頃は休日などなかった。
今は女房と気ままに過ごせる。
これもまた祝福すべきことである。
長男がいて二男もいて、加えて友だちがいて仕事は忙しく孤独とは無縁であり、毎日がとても充実している。
今がいかに恵まれているか。
視点を過去に戻すだけで実感できる。
せっかく恵まれているのであるから、それを味わい尽くさねば損であり、それに、そうしないと褪せていく。
放っておくと、聞き飽きた歌のフレーズのように恋い焦がれたはずの旋律に何も感じなくなり、ないものねだりが始まってしまう。
この感度の低減は、次なる進歩を目指す原動力とも成り得るが、得た果実を無味乾燥なものにして今の幸せを台無しにしかねない。
だから折りに触れ、感度をチューニングすることが欠かせない。
時には、視点をもっと引き、はるか昔に時を戻すことも必要だろう。
蛇口をひねれば温かなお湯が出て、寝具はふかふかで、いつだって好きなだけ飲んで食べることができる。
そんなありきたりな点だけとっても、今の暮らしは人類が夢見た桃源郷と言える。
そんなバラ色の世界にいながら不遇をかこつとすれば不遜極まりない。
グリコのキャラメルは一粒で二度美味しいが、幸福の場合は何度でも美味しくおかわりも仕放題である。
どのような視点で見ても夢のような世界と言うしかない。