長男から要望があって米を送れば、二男にも同じものを同じ日に送る。
兄弟は平等。
差をつけない。
というより、比較の次元を超えて出て、両者ともにMAXな存在と言うほかない。
米だけでなく服も同じ。
長男のためにセーターを選べば二男のためにも選び、二男にアウターを買えば長男が帰省した際にはアウターを選ばねばと待ち構える。
ごく小さい頃からそのようであったから、ちびっ子の頃は結果ペアルックとなりがちだった。
長じては趣味趣向が異なって別種の装いとなったが服代の総額は変わらない。
それだけではない。
大事にとっておくべき本なら二冊買いそれぞれに持たせ、ここにも使い古しの出る幕はない。
家内にしても同じ。
長男に肉を振る舞えば、二男にも振る舞う。
そのように逐一同じ栄養価のものを同じ分量食べさせてきたから、二人はともに頑強頑健。
その他、長男の友人を迎えれば、二男の友人も同様に迎え、この先も二人に友人がいる限り寮母的な役割は変わらないだろう。
振り返れば何もかも同じ。
生まれた産科も同じなら小さい頃は寝床も同じ。
小学生のときに通った塾も同じで結果、中高も似通った。
そして大学受験も同じ行程、乗った列車もホテルも同等、結局、行った大学もこれまた似たようなものとなった。
相補うよう、夫婦して双方に同じ分だけ愛情を降り注ぎ、だから得られた充足感は倍増しで今後もずっと倍増しであるだろう。
そして、この二人、奇遇なことに父が同じで母も同じ。
そんな巡り合わせは滅多にない。
生涯仲良く過ごして欲しい。