16日が休みの最終日だった。
今年はお盆が土日と重なったため6日間だけの夏季休暇となった。
例年より短かった夏休みの最終日、休みを満喫するのではなく日中は仕事に充て、夕刻はプールで泳ぎ、日常に心身を馴染ませた。
お盆休み中は毎日お酒を飲んでいたが、この日から再び平日はノンアルとし、夜は積もり積もった新聞を読んで過ごした。
オフからオンへの移行時には意識的になる必要がある。
加速の前には助走が不可欠で、その心構えがないと、心身がオフのままオンに投げ込まれ、軽い仕事にも足がもつれて序盤から負けが込むといったことになりかねない。
準備万端、オンの世界に舞い戻り、出だしから快調に仕事をこなした。
それでつくづく思った。
役得なのか慣れなのか、はたまた向き不向きといった話なのだろうか。
降りかかるあれやこれやは実のところどれもこれもが大した負荷ではなく、つまりオンといってもオフと大差なく、暦をみれば来月には三連休が立て続き、翌月も翌々月も祝日があちこちに散りばめられて、ますますオンがオフに近似して見える。
つまり、オンと言ってもほんの少し、ちょいと頑張ればいいだけのこと。
周囲を見渡しても同様。
友人らの皆が皆、のどか平穏な毎日を送っている。
生きることは苦しい。
かつてブッダはそう言った。
苦しみがデフォルトなのだとすれば、そこまで苦でない現状は、ことほぐべきことと言えるだろう。
今と異なり昔々のその昔、人は生きるか死ぬかの瀬戸際をくぐり抜けるのが日常だった。
生死の境が消えてなくなることはないにせよ、命を脅かすような窮地の数は格段に減少し、苦しみの総量は激減したと見て間違いない。
これもひとえにご先祖さまのおかげ。
生きることは苦しい。
常につきまとって跳ね除け難いそんな事実をさえ、人はよりマシなものにしてきたのだと思えば、この系譜に連なる者としての役割がすっきり見通せるような気がする。