満員電車には乗らないし、長い列には並ばない。
群衆を見ると怖気づく。
先祖の代のトラウマのようなものが残存しているからかもしれない。
「人だかり」が兆すだけでも後ずさりする。
子どもたちに繰り返し言ってきた。
人間なんて水風船みたいなものであり、脆く呆気ない。
いくらカラダを鍛えようが水風船であることに変わりない。
何かがぶつかったり、何かの下敷きになったりするだけで、もう取り返しがつかない。
だから子を連れて動くときにはとりわけ注意を払った。
花火見物の際は川向こうあたりの閑散とした場所を選び、えべっさんに行く際は朝や晩など空いた時間を選んだ。
大きくなってからも言ってきた。
盛り場は伏魔殿。
難波や梅田、渋谷や新宿。
何が起こるか分からない。
だから訪れる際は細心の注意を払わねばならない。
海や川や山も同様。
自然は脅威。
それに対し人は為す術がない。
四方を危機に取り囲まれているようなものであるから決して気を許してはならない。
命に関わる事柄について、保護者であるから大げさであっても注意喚起するのは当然で、そこに過保護といった領域は存在しない。
所詮は水風船なのであるから心配し過ぎでちょうどよく、だから何度言っても言い過ぎということにはならないだろう。
朝から雨が降り出した。
窓を開けると水滴がミストのように入り込み、緑の香を運んで外気が一斉に部屋になだれ込んできた。
息をするだけで気持ちがいい。
なんて清々しいのだろう。
水風船であることは奇跡。
そんな思いを噛み締めた。