KORANIKATARU

子らに語る時々日記

不在である方が存在感が増す

不思議で仕方がない。

そんな表情で家内が言う。

 

長男と二男からメッセージが届き、それが示し合わせたみたいにほぼ同時。

それも一度や二度ではない。

一体何がどうなっているのだろう。

 

偶然も重なれば、その印象が強化される。

結果、いつもそうだと感じるようになる。

 

そういったことだと思うが、当事者になるとやはりその不思議の感に打たれることになる。

 

この日の午後3時。

まずは長男から連絡があり、間をおかず続けざまに二男からも連絡が来た。

ほぼ同時。

 

やはりこのように重なると、偶然とは言え深い意味を帯びて感じられる。

 

意味を手繰って気付かされるのは、わたしには息子が二人いるという当たり前の事実であるが、その事実を再確認するだけで胸が満たされるから、一体、親子といった間柄には何が秘められているのだろう。

 

仕事の手を休め、とりあえず両人に向け幾らか振り込み、ウェブサイトから米を送り、水を送った。

家内はもっぱら料理を送るが、わたしにはわたしの役割があるのだった。

 

もちろん別の役割があると言っても母性にはまったく敵わない。

 

わたしの場合、iPhoneひとつで用事が済むが、家内の場合、食材の調達から始まって料理するプロセスがあって、それを荷詰めし配送センターに持ち込むといった工程も入るから較べものにならない。

 

いま息子たちとは離れて暮らす。

当初は寂しいに違いないと思っていたがそうでもない。

不在である方が存在感が増すといったこともあるようで、わたしたち夫婦はいつだって息子たちのことを考えて、心に隙間が生じることはなく、いつだって心満たされている。

 

それに加え、ほぼ毎日連絡し合い、月に一度は上京し一緒に食事するのであるから、以前にも増して一緒にいるとさえ言えるだろう。

 

彼らにも似たようなジンクスがあるかもしれない。

親父からの連絡とおかんからの連絡はだいたい同じタイミング。

 

家内に確認したことはないが、そうであっても何ら不思議はない。

朝起きて食事する時間もジムで運動する時間も夜寝る時間もだいたい同じ。

息子たちに連絡する時間が同じにならない方がおかしな話である。

2022年11月16,17日 タンパク質中心の弁当

2022年11月17日夕飯 おでんとすき焼き