どういうわけか体調のすぐれない火曜日であった。
帰って休もう。
ちらと弱気が頭をよぎった。
しかしそんな甘い考えは、息子たちのことを思うとかき消えた。
社会人となった長男も大学生である二男も、日々、そのベストを塗り替えるような出力で充実の毎日を過ごしている。
彼らの十代のあれやこれやなど、どれもこれもがちょっとした準備体操みたいなものだった。
過ぎ去ってつくづくそう思う。
そこで片膝をつくのではなく、余裕しゃくしゃく走り抜けたからこそ、今がある。
そして本番はまだ先にあり、人生は長い。
だから尻上がりといった感じで進むのがペース配分として適切だろう。
しかし努力が効果を生む時期は限られて、二十代の努力と四十の努力では結ぶ花実がまったく異なる。
鉄は熱いうちに打て。
努力は継続するにしてもしんどいことは今のうちということであり、三十から出遅れてスタートした父の背を見て、彼らはそれを熟知している。
それでも遅まきながらであれスタートしたのであるから、わたしなんかであっても人生のピークをまだ先に期待でき、希望を胸に生きていけるだけマシである。
もしスタートすることなく働き盛りの四十がピークとなって、後はいてもいなくてもどうでもいいような扱いで収入は尻すぼみ、しかしそうなって以降、暮らしの入り用がMAXになって長くのしかかるのであれば人生はただただつらい、といったものであっただろう。
わたしにとって、人生のピークはまだ先にある。
だから五十を過ぎ、出力が芳しくない日があっても希望を胸にほんの少しは前へと進む。
もちろん無理せずともどうにでもなるが、なんであれ積み重ねが大事。
この日もなんとか疲労感を振り払いつつ、最低限の業務をやり終えた。
そのようにして夜を迎え、ちょうどこの日、女房はヨガ仲間と出かけていて留守だった。
ここから先はいくらなんでも無理は不要だろう。
わたしだって話の分かる人間である。
疲労回復が先決、そう思えば飲んで寝てしまうのがいちばんいいとの結論は揺らぎようがなかった。
だからわたしはジムをさぼって、焼肉屋へと直行したのだった。
これで手は打った。
巻き返しの水曜日が訪れるのは確実なことと思えた。