汗ばむ季節となった。
となれば辛いものが不可欠。
ではK-FOODを買いに行こう。
土曜の朝、家内の運転でコリアンタウンへと向かった。
昼近くになると大勢の人が詰めかけてどこもかしこも人だかりとなるから身動きが取れない。
だから早めに訪れ、さっさと用事を済ませて立ち去る、という一気呵成の動きが不可欠となる。
商店街へと進む前に夫婦で打ち合わせ、決まった店を最短距離でまわった。
家内がリズムよく先導し、てきぱきと注文し息子たちへの発送伝票もすばやく走り書きし、荷物はわたしが運んで空費時間ゼロにて完遂。
クルマに荷を積んで、せっかくだからと近くで昼を済ませ、辛いもののあとは甘いものということで、エクチュアでデザートを食べて帰ることにした。
そして帰宅し、手分けし家の掃除にかかり、これがほどよい準備体操となって、続いてはジムでハードに頑張って、家内がサウナを終えて出てくるまで、わたしはマッサージチェアに寝そべって、かばんに忍ばせてあったここ最近の新聞記事を読み始め、元バレー日本代表の佐々木太一さんのインタビュー記事に目が留まった。
選手として引退後、お酒の営業職に就くもなかなか売れず門前払いされる日々が続いた。
人と接することが苦しくなって、布団から出られず隠れて泣いた。
かつての名選手がそこまで追い詰められた。
そんなとき、ふとしたきっかけでウイスキーの資格について知った。
「ボールをたくさんばらまかれて、光るボールを見つけた」と感じ、本格的に勉強に取り組んだ。
分厚い教本を常に持ち歩き電車やバスで開き、必要なことを書き込んでいった。
寝る前にも読み返した。
そのようにウイスキーに導かれて数年の時を経て、晴れて「マスター・オブ・ウイスキー」の試験に合格することができ、いまや日本を代表するウイスキーの伝道師となった。
限界に近い状況を持ちこたえ、「光って見えたボール」に一心に賭け、見事浮上を果たした訳である。
たまにこういった「光るボール」レベルの記事に出くわすからやはり新聞は読んだほうがいい。
記事を読み、わたしは初心に返るような思いとなった。
駆け出しの頃、業務に関する書籍や手引書を何冊も読み、土日もその勉強に明け暮れた。
そういったことを繰り返し、対応できる業務の幅が広がっていった。
いま携わる仕事のすべてがそんな地道な積み重ねをベースにして成り立っている。
こういった継続的な努力を日常に溶け込ませることができるかどうか。
それで未来が様変わりするのではないだろうか。
過去を振り返ってそう実感し、幸いその心がけが息子らにも伝わっていると思えて頼もしさを覚えた。
そもそも家内が生来そういった努力体質を備えていた。
わたしは根っからの無精者であったが経済的な事情から努力を余儀なくされた。
息子たちはそんな親の背中を見て育ち、だからそういう在り方が当たり前になったのだろう。
適当に羽目を外しつつも親の真面目路線を踏襲し、まあいつだって何かしら事に取り組んでいる。
芸は身を助く。
息子たちはそれを地で行くであろうし、五十を過ぎたがわたしにだってまだまだ先がある。
記事を手にして起き上がり、強く思った。
わたしもまた何か始めよう。