子を授かってからのことだろう。
神社仏閣に通うことが日常のシーンに溶け込んだ。
胸に生じる切なるものは、そこでしか解き放てない。
昨年はまだ桜が咲き残っていた頃、大和飛鳥の地を訪れた。
今年は、雨に濡れ古道を敷き詰める桜の花びらに過ぎゆく季節を思った。
古都というより遥かに古い。
時間をさかのぼって古代から吹く風は涼しくしかし荘厳で、心の奥深くを静か波立たせる。
そんななか家内と二人、子らを思って手を合わせ頭を下げて各所を回った。
実のところ親としてできることなど何もない。
幸あれと願う。
親はただそう願うだけの存在で、だから突き詰めればこのような在り様に至るしかない。
愚直実直に目的としたお参りを午前中に終え、昼は家内が予約した店へと向かった。
山間の穏やかな風景を左右に眺めクルマを走らせ、キトラ古墳や石舞台古墳といった古墳群が点在する一帯へと差し掛かったとき、眼前ののどかな景色が一気に奥行きをもった歴史の舞台へと様変わりした。
日常の浅瀬にて薄っぺらとなっていた時間感覚が、奈良の地の深みに触れてあるべき本来の分厚さを取り戻していく。
近くにあってはるかに遠い。
たまには奈良で過ごすべきだろう。
夕刻を前にし、地元の野菜など買って帰途についた。