親父が言った。
おまえんとこは言うことなしやな。
仕事は順調で夫婦仲は円満。
息子たちも各自難所を無事に切り抜けいい男っぷりに育っている。
なにより家族全員が健康で日々明るく元気に過ごしている。
確かに言うことなしであり、これ以上なにか望むとすれば強欲にもほどがあるというものだろう。
親父の言葉を思い出しつつ、込み上げるのは感謝の念だった。
ほんとうにいろいろな人に助けられてきた。
自営業であるからなおさら。
そんな助けがなければ立ち行かなかったと痛切に感じる。
多くの支えを実感するから心は感謝の気持ちに満たされて、だから自然と皆の幸福を願うような気持ちになって、そんな思いもまた幸福の源泉になるのだと数々の苦境を経るうち学んだ。
その一方、世の中はいろいろとたいへんであるとも十分に理解している。
わたしの周りが経済的にも子育てにおいても恵まれていて、それが普通と思ってしまいがちになるが、ときおり接する世間の実像がその目を覚まさせる。
ところが世間はインスタ花盛り。
イケてる画像に加えイケてるように見せる画像もそこに混ざるから、世界はみなイケてるようにしか思えない。
そうなると実像の側において良い感情を維持するのは簡単なことではないかもしれない。
呪いとでも言えるような、誰かの幸福を怨嗟するような気持ちが芽生えたってやむを得ないことだろう。
だからイケてる雰囲気の捏造と増殖に加担する勝ち気な者など、そういう意味では罪作りな存在だと言うしかない。
そして毒が本人にもまわって結局は周囲を巻き込み気分がすぐれないということになるのだろうからなんのこっちゃ分からない。
わたしたちの周囲にもそんな人物がひとりだけいた。
過剰な負けん気が覆いかぶさってくるようでうっとおしくて、それで疎遠になって久しいが距離を置いたことも含め正しい選択だったといまでも思う。
しかし実害はないにせよその周辺とも疎遠になって後味悪くそこだけ曇って見える。
言うことなしであっても、この人生の景色に一点の曇りもない訳ではないのだった。